●連載
虚言・実言 文は一葉もどき
横浜が縄張りの元タウン誌ライター。
貧しさにもめげず言の葉を探求し、人呼んで“濱の一葉”。
ウソ半分、ホント半分の身辺雑記を綴ります。
今回のもどきさんは、老人の選択について人に感想を求めてるようです。
シリーズ あんな話こんな話
剥製
つれあいを亡くし、たった一人で暮らす老人は、15年以上も飼っている犬のクロをこ
よなく愛していた。
クロはその名のとおり黒い毛並みの赤味を帯びた茶色の目をもつ中型犬である。
はたから見ると老人が先に死ぬか、犬が先に死ぬか、わからないほど共に老いていて、
散歩する姿はよたよた、とぼとぼといった風情で仕方なく歩いているようであった。
それでも老人にとって、クロと気持ちをひとつにして寄り添って歩くのは至福の時に違
いない。
時が経ち、ついにクロが先に死んだ。
老人はクロの体が冷たくなってもいつまでも抱き続けた。埋葬すればこの犬の姿が自分
の目の前から消えてしまう。それは身を切られるほどつらいことだ。クロのいない生活
を想像すると、本当にひとりぼっちになってしまう恐怖で胸がつぶれそうになった。
そのとき、老人はクロを剥製にすることを思いついたのである。
剥製屋に電話をかけたが、犬猫はやりません、と断わられた。老人はあきらめずめんめ
んと事情を訴え、お金を倍出すと食い下がりついに引き受けさせた。
半年以上かけてついに剥製のクロが出来上がり、老人の家に届けられた。クロは毛並み
も黒々と艶やかに目はガラス玉だけどちゃんと赤茶色をして、すっかり若いときの精悍
な犬になっていた。
老人は満足そうに見つめてからつぶやいた。
「人間の記憶なんていい加減なもんだ。40年も連れ添ったのにバアサンとの思い出は
もうすっかり薄れてしまって、どんな顔して笑っていたのかようわからん。淋しいもん
じゃ。こうして剥製にして毎日みていれば、クロとの思い出はずっと消えんだろう」