4/12の日記          文は田島薫

円空仏

きのうの朝のテレビで円空仏についてやってたんだけど、あーいったシンプルで力強い表現

は、私も昔から大好きで、20年ぐらい前だったかデパートでの展示会に行った時もすっかり

感心したものだった。

円空は30ぐらいから63才で死ぬ30年ぐらいの間に12万体の仏像を彫ったっていうから、年

中無休で単純計算して、毎日10体以上を彫り続けたってことになり、ていねいに細かく彫っ

てるヒマはなかったんだろう。各地の貧しい農民などの切実な要望に応えた結果らしい。

そのため却って、ていうか、勿論円空の才能によるんだけど、仏像に求められる本質といっ

たものにいきなり到達して、不要な装飾を排除したわかりやすいものになったのだ。

しかし、仏像といえば、慈愛といった表現の巧みさにプラスして気も遠くなるような細かい

細工やなめらかに磨きあげられた仕上げで高級感(?)も付加することで有り難さも感じさ

せるといったことが一般的なのに、この手荒で手抜きで日常雑器のような気軽さがかもす、

モダンアートのような斬新な感覚はなんて素晴らしいんだろう。

もちろん、ち密に造られた仏像もわるくないし、細かい様々なイメージの氾濫に身を置いて

渾沌の感覚の中で、自己を超える大きな価値や存在について思いを馳せたり、謙虚に自己を

見つめるということもあっていいだろうし神は細部に存在するって言ってる人もいるんだし、

なんだかわからないけど、すごいもののようだ、って複雑な表現と遭遇する感覚もアート鑑

賞などの楽しみのひとつだったりもするんだけど。


で、わかりやすい円空仏を見たついでに、夜はわかりやすい三谷幸喜のドラマ「わが家の歴

史」を見てみた。だけど、こっちはわかりやすいところは円空と共通してても表現の口数の

多さは全然似てない。彼のはエンターテインメントで、お笑いのアイデアなんかはけっこう

好きなんだけど、連続3日計8時間も続けて見るには相当な決心がいりそうで、おずおずと

見はじめたら、やっぱりうとうとと寝てしまった。

やっぱり、円空、1秒で感動させてくれる側の勝ちー!




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