●連載
虚言・実言         文は一葉もどき


横浜が縄張りの元タウン誌ライター。
貧しさにもめげず言の葉を探求し、人呼んで“濱の一葉”。
ウソ半分、ホント半分の身辺雑記を綴ります。
新聞記事から表情を追加のシリーズ、運転手は考えてました。



新聞ネタ独白シリーズ

機転

不況である。失業者が増え、金に困っている者が多くなり、当然犯罪が起きやすい社会

情勢である。こうなるとタクシー業界は真っ先に巻き込まれるものだ。

今日も私の所属する営業所長が朝礼で訓示を垂れた。

「皆さん、ご存知のように連日タクシー強盗や料金踏み倒しの犯罪が起きています。タ

クシーは密室になるので気をつけてください。会社側としても、座席の間に透明な仕切

りなどをつける対策をとりますが、皆さん個人個人の未然の防止策を考えて業務を行っ

てください」

まったく嫌な世の中になったものだ。

ただでも元小泉首相の規制緩和とやらで、タクシー業界は過当競争で実入りが少なくな

っている。そのうえ身の危険がのしかかる。

およそタクシーの運転手をしていて危ない目にあっていない者はいないだろう。日ごろ

からさまざまな事態を想定して仕事をしているが、なにが起こるかわからない。


その夜、私はマスクに眼鏡に帽子という嫌な客を乗せた。意外と近い場所を告げたので、

(ええい、いっときだ、ままよ)とスピードをあげて走った。

目的地付近につくとあたりは暗く人通りはない。嫌な予感がする。止めるように言われ、

車内灯を急いで点けた。

「1890円です」

と言った途端、首に手が回されナイフのようなものが顔に触れた。

「金を出せ!」

男が言うと、私は観念して釣銭用の小銭をかき集めて渡した。

「まだあるだろう。売上金全部を渡せ!」

男がすごむ。私は苦しい息の中から声を振り絞った。

「は・放してくれ! ぶ・物騒だから売上金は後ろのトランクに入れてある!」

男は手を放して

「とってこいっ!」

と威圧するような声で言った。男の手がほぐれ、自由になると私は急いでドアを開け、

そのまま逃げた。

命あっての物種。もちろん売上金はポケットの中。


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