清志郎さん。
忌野清志郎さんが旅立たれた。
そのニュースを聞いた時には、呆然としたというか、唖然としたというか、信じられない気
持ちと、でもやっぱりこの時が来たなぁ、と諦める気持ちと何だかいろいろの気持ちが入り
交じって、落ち着かなかった。落ち着かないついでに、告別式に行こうか、お悔やみを出そ
うかという考えにも至ったけど、落ち着いてよく考えたので、結局何もしなかった。
何で忌野清志郎さんが好きだったんだろう?って考えたら、たぶん高校の頃にバンドにハマ
って、自分も何か崇拝する対象を持った方がカッコいいだろうという、浅はかなポリシーが
芽生えたからだったのかもしれない。最初に聴いた曲は何だったかな?「いけないルージュ
マジック」では無いことは確かだ。(ちなみに坂本龍一教授を初めて知ったのも、Y.M.Oじ
ゃなかった、少し変わっている私なのだ)それから「RCサクセション」と名のつくCDを買
いまくった。清志郎さんの本も探して買った。そしてCDは満足のいくほどに買いそろえる
ことが出来たのだった。
その頃、うちにホームステイしていた青年に「日本のミュージシャンで好きな人は?」と聞
かれて、「忌野清志郎さん」と言い、分かりやすく「デイ ドリーム ビリーバー」を聴か
せたら何だか分かっているような、いないような、そんな感じだった。
そしてそのお宝CDを担いで、東京の生活へと変わった。
大学のバンドサークルに入ったら、やっぱりRCサクセションに詳しい人がいて、田舎者の私
でも、たくさん話をすることが出来た。調子に乗って、総武線の終電で酔っぱらった数人で
「パパの歌」をギターを弾きながら歌うという迷惑行為にも及んだことがある。
お茶の水の下倉楽器店で、初めてのギター(フェンダーのストラトキャスター)を買ったの
は、「雨上がりの夜空に」を弾きたかったからだった。そして夏休みにその買ったギターを
担ぎ、急行列車と鈍行列車を乗り継いで山形に帰ってきて、父に見せたのだった。
しかし未だにギターを弾けない私である。
こんな感じが、私の個人的な、ささやかな思い出である。
世間知らずの私にさえ、これくらいの思い出があるのだから、音楽が好きで清志郎さんが好
きだった人々には、もっと深い思い出があるに違いない。 |