●連載
がたやま娘のひとりごと      文はこんのたえこ


地方文化都市山形で、世界の様々なことを感じ考えている
賢くうら若い(?)娘の話を聞こう、疲れたおじさんおばさんたちよ!

たえちゃんにもあの人とのロックな思い出があったんだす。



清志郎さん。

忌野清志郎さんが旅立たれた。

そのニュースを聞いた時には、呆然としたというか、唖然としたというか、信じられない気

持ちと、でもやっぱりこの時が来たなぁ、と諦める気持ちと何だかいろいろの気持ちが入り

交じって、落ち着かなかった。落ち着かないついでに、告別式に行こうか、お悔やみを出そ

うかという考えにも至ったけど、落ち着いてよく考えたので、結局何もしなかった。


何で忌野清志郎さんが好きだったんだろう?って考えたら、たぶん高校の頃にバンドにハマ

って、自分も何か崇拝する対象を持った方がカッコいいだろうという、浅はかなポリシーが

芽生えたからだったのかもしれない。最初に聴いた曲は何だったかな?「いけないルージュ

マジック」では無いことは確かだ。(ちなみに坂本龍一教授を初めて知ったのも、Y.M.Oじ

ゃなかった、少し変わっている私なのだ)それから「RCサクセション」と名のつくCDを買

いまくった。清志郎さんの本も探して買った。そしてCDは満足のいくほどに買いそろえる

ことが出来たのだった。

その頃、うちにホームステイしていた青年に「日本のミュージシャンで好きな人は?」と聞

かれて、「忌野清志郎さん」と言い、分かりやすく「デイ ドリーム ビリーバー」を聴か

せたら何だか分かっているような、いないような、そんな感じだった。


そしてそのお宝CDを担いで、東京の生活へと変わった。

大学のバンドサークルに入ったら、やっぱりRCサクセションに詳しい人がいて、田舎者の私

でも、たくさん話をすることが出来た。調子に乗って、総武線の終電で酔っぱらった数人で

「パパの歌」をギターを弾きながら歌うという迷惑行為にも及んだことがある。

お茶の水の下倉楽器店で、初めてのギター(フェンダーのストラトキャスター)を買ったの

は、「雨上がりの夜空に」を弾きたかったからだった。そして夏休みにその買ったギターを

担ぎ、急行列車と鈍行列車を乗り継いで山形に帰ってきて、父に見せたのだった。

しかし未だにギターを弾けない私である。


こんな感じが、私の個人的な、ささやかな思い出である。

世間知らずの私にさえ、これくらいの思い出があるのだから、音楽が好きで清志郎さんが好

きだった人々には、もっと深い思い出があるに違いない。


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