思いつくまま、気の向くまま
  文と写真は上一朝(しゃんかずとも)


シャンせんせいの「ぼけのたわごと」、タイトル変えました。
今回のシャンさん、わが国の文化財保護の甘さの理由を指摘してます。



保守の聖地炎上




22日、旧吉田茂邸が全焼した。

官僚重用、経済最優先、親米反共を主軸とする戦後保守政治の礎を築いた吉田茂の末裔で

ある自由民主党が終焉を迎える、いや、迎えてほしいときに、その聖地旧吉田茂邸が全焼

したことは戦後政治の一区切りが来たことを感じる。このことは多くの評論家氏が同じよ

うなことを言っているので、田舎のオジサンが同じことを感じても無理はないだろう。


旧吉田邸全焼をテーマに書くのであれば、現役政治家の「大磯詣で」で有名な政治のこと

を書くのが常道であろうが、桜の季節、あまりノーミソを使わないですむ文化の面でこの

ことを書いてみる。

政治、文化両方の面で語れるのは、やはり吉田茂の偉大なところであろうか。


最近、モーガン邸、住友俣野別邸、トトロの家と文化財あるいは文化財級の家が立て続け

に不審火で焼けている。そこへきて今度の旧吉田邸である。

旧吉田邸は、そのベースとなっている明治時代の数寄屋建築に加え貴重な調度品があり、

その全てが烏有に帰してしまったことは残念なことだ。

これらのことをみると日本の文化財保護、特に民間所有の文化財に対して国家の保護の手

が行き届いていないかがよくわかる。中央郵便局の建物にあれだけ大騒ぎをする余裕があ

るのなら、もっと浅くてもいいから広く民有文化財保護に手をさしのべるべきだと思う。

中央郵便局なんてものは丸の内の景観を壊してしまった今、大した値打ちはない。保存を

叫ぶなら丸ビル、海上ビルといくらでも残すべき建物はあったはずだ。もっと遡るなら、

せっかく戦災をのがれた三菱煉瓦街を残すべきであった。二言目には「欧米では…」とい

う国にしてみれば、欧米ではとても考えられないことを平気でする。

文化財保護の責を民間の都合にまかせて国家としての責をおわないのは、これも吉田流の

経済優先主義の遺産といえる。


別名「吉田御殿」とも呼ばれた旧吉田邸は、戦災復興もままならない時期に、数寄屋建築

の大家吉田五十八の設計で、贅を尽くして養父の別荘に手を加えたものである。

日本中がまだ貧しかったときに、金さえあれば(権力も、と言いたいところだが証拠がな

いので言及しないが、ワンマン道路を作るくらいだからそこへ考えが及んでも許してもら

えるのではないか。)これだけのものが作れるという意味でも、旧吉田茂邸は残しておき

たかった新文化遺産である。


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