思いつくまま、気の向くまま 文と写真は上一朝(しゃんかずとも)
シャンせんせいの「ぼけのたわごと」、タイトル変えました。
シャンさん、本を愛してます。大切にしてます。行く末を心配してます。
新本、古本、ゴミ、そしてお宝
本というものはやっかいなものである。
ときどき本を書物と呼ぶ家庭に育ったせいか、内容にかかわらず本というものを粗末にできない。
古本屋に売るにしても、めずらしい本を集めていると万人がその価値を認めると錯覚をしてくる。
自分でいくら価値があると思っても興味のない人にはただの紙くずなのだが、こう思いこんでし
まうとお役御免の本にも値がつかないと損をした気になる。
最近、床の上にも本が積み上げられ、いよいよ居るところがなくなってきた。少し処分をしよう
と懇意な古本屋にみせると「いい本ですが、いまこういう本はだめなんです」との返事。それと、
もうひとつ気になることを言った。「今の人は内容がよくてもきれいな本じゃないと買わないん
です」。昔から美本は高かったが、内容が必要であれば傷んだものは安く買えてよかったのに今
は通用しないそうだ。「明治大正や戦前の本がきれいに残っているわけがねぇだろう」とつぶや
いてもなにごとも清潔第一のご時世には通用しない。
古本屋も商売である。時代に合わない本は売れないから引き取り値もつかないし、捨て値で買っ
た売れない本は置き場がないので悪くするとゴミになる。
愛着のある本をお涙金と引き換えにゴミにするのもいやなので、某財団の図書館へ声をかけてみ
た。そこではまったく逆のことが起こった。二つ返事どころか三つ返事で「ご寄贈いただきます」
「最近の古本屋は不勉強でこういう本が出ても声をかけてこないんです。どんどん無くなっちゃ
って将来の研究者は困るんですがね」といわれた。
本というものはやっかいなものである。
が、こうして手間暇をかけるとゴミもお宝になる。最近資源ゴミのなかに、良書を多く見かける。
たぶん親の蔵書を興味のない子供が捨てたのだろう。たしかに重たい思いをして古本屋に持って
いっても買えませんと言われればいやだろう。いかに本を読まない時代だからといってゴミにし
てしまってはお終いである。つまらないことに税金を使わないで、こういう本を引き取り、良書
を選別するセンターを国で作ってくれないものだろうか。