思いつくまま、気の向くまま 文は上一朝(しゃんかずとも)
シャンせんせいの「ぼけのたわごと」、タイトル変えました。
今回のシャンさん、北朝鮮をあれこれ批判してる日本もそれほどのもんか、って一言。
人のふり見て…
ここのところ北朝鮮は、長距離ミサイルの発射に続き核実験と中距離ミサイルの発射など軍事行
動にはしり、そのあげく六カ国協議は無効、韓国の制裁処置に対しては「宣戦布告と認める」と
バカに元気がいいです。
これら一連の動きをみていると、満州事変から敗戦までの日本とよく似ていることに気がつきま
した。
どちらも国民の総意による国家体制でなく、支配層の利権のために国を動かしていました。
時系列で眺めてみると、北朝鮮のKEDOの不履行は日本のハルノートの拒否にあたります。どち
らも条件の裏が読めずに国をとんでもない方向へもっていってしまいました。世間を知らないと
いうことは不幸なことです。
今回の北朝鮮の一連の軍事行動は、日本の戦争末期大和出撃と同じと思えばいいでしょう。国内
ではバケツで爆弾の火を消せといいながら最新の兵器を動かし、まだ武力で物事が解決すると思
っていました。
さだめし今度出る国連安保理決議はポツダム宣言にあたるでしょう。それを拒否する北朝鮮は、
国体護持ならぬ将軍様護持のため竹やりをしごくことになるのではないでしょうか。
ここに書いてきたことは北朝鮮をとやかく言うことではありません。先の大戦で日本のたどって
きた道とそっくりであるということを言いたいだけです。
国情をすっかり見透かされているのにわが国は特別だと力みかえっていたあの頃の日本は、われ
われがいま北朝鮮を見るような目で見られていたかと思うと恥ずかしさがこみあげてきます。
最近の日本は、韓国の政権腐敗が原因で政治が混乱した時代に似てきました。「しょうがないね、
韓国は」なんて優越感をこめて高みの見物をしてきた日本ですが、どうか恥の上塗りだけはしな
いでもらいたいものです。