●連載
虚言・実言 文は一葉もどき
横浜が縄張りの元タウン誌ライター。
貧しさにもめげず言の葉を探求し、人呼んで“濱の一葉”。
ウソ半分、ホント半分の身辺雑記を綴ります。
シリーズ19回め。アラフォーだったもどきさんの体験。
シリーズ リポーター奮闘記
アラフォー
新聞折込のフリーペーパーを見ていたら、リポーター募集の広告があった。つい目が
いってしまう。条件には人づきあいのいい人、明るい人、運転免許のある人とあった。
文章のうまい人なんてどこにも書いてありゃしない。明記していないけどきっと年齢
制限もあるのだろう。
10年以上も前の話である。
社長から呼ばれて、これからある企画制作会社に一緒に行ってくれといわれた。道々
社長が語るには、ある同業者の会合で知り合いの編集長と雑談しているうちに、リポ
ーターを紹介してくれ、と頼まれたという。ちょっと断れない義理があるので私に半
年くらいでいいから向こうの仕事も何本かやってくれないかという。
その会社とは朝日新聞社広告局と契約して月2回横浜地域に夕刊とともに配布する
“HAMAYOU”という新聞を作っていた。
私はあの天下の朝日新聞の仕事ができるこのチャンスを喜んだ。
応接室に通されると編集長がやってきた。挨拶を済ませると社長がリポーターを連れ
てきたと私を紹介した。編集長は私を上から下まで見て、
「そうですね、若い人と違ってねばり強いかもしれませんね」
とちょっと失望の色を浮かべて言った。きっと若者を期待していたに違いない。その
ときの私は今流行の言葉でいえばアラフォー。
私は求められるリポーターとは実力とは関係なく若さ、つまりフットワークなのだと
悟った。
私は一応朝日新聞の名刺をもって、そこで2年以上仕事をすることができた。その後
も日本社会では就職はもちろん、あらゆる場面で年齢が過剰に問題視されることを感
じたのだった。