8/31のしゅちょう             文は田島薫

(政治家の仕事について)

民主党が政権を取り、そのマニュフェストに沿って、自民党周辺の利権構造に吸い取

られたようなハコモノ工事に象徴される無駄な政策を廃止し、あまねく人々の暮らし

に直結し、それが安心したものになるような政策を期待したい。

世界的視野で見た時、一時期よりも大分下がり続けているいようだけど、まだまだ日

本の国民の生活レベルは高い方だと言えるようで、それを可能にしたのは、確かに、

物不足の戦後の高度成長時代、がむしゃらに国民総動員で働いたおかげではあるのだ

けど、時代も情況も変わってるのに、それと同じ発想で、いつも、国民の幸せのため

には経済成長、経済成長、って言ってれば、すべて国民の生活も幸福になる、って、

信じてるのはなんとかのひとつおぼえ、って言ったもんで、大体、国民の生活に必要

な物資なんてもんは十分に有り余って、作る必要がないのに、無理矢理なんか作ろう、

って焦りまくる産業界に同調して右往左往してたのがまさに敗北団体自民党なのだ。

物資ってもんを一人歩きさせて、それの売り上げを成長させよう、ってことは、そも

そも物資ってもんが、人々の生活改善のためのもんだ、ってことを取り違えてること

から起きてて、世の中の人々が今ほんとうに切実に求めてるものがなにか、って言っ

たら、例えば最新型の電化製品なんてもんはどうでもいいはずだ。

世の中、子供の教育費や医療費や保健料が払えないほど高い、とか、仕事がない、と

いったことの原因が、経済不況にある、って言うよりも、物資が過剰になった世界で、

小さなパイを不平等に取り合ってるまさに拡大する格差にこそあるのだ。

経済成長のかけ声は、まず、憲法で保証した必要最低限度の文化的生活を全国民が実

行されたのを確認しつつ、あまねく、その恩恵が渡ってる、って確認されてはじめて

意味を持つはずだ。

成功した人々は自分の努力を強調し、私は苦労してがんばった。今不遇な者たちはそ

のがんばりが足りなかったのだ、それを政治のせいにするのはいけない、などと、言

い、それを聞いた人々はそうかもしれない、って黙る。

政治家の仕事は、そんな沈黙する人々の生活の有り様をちゃんと見て、社会構造の不

平等をどんどん積極的に改善して行くことなんであって、既成の構造を穏便に持続し、

守るだけ、ってもんでは決してない。それは神聖な墓守りだけの仕事だ。




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