思いつくまま、気の向くまま 文は上一朝(しゃんかずとも)
シャンせんせいの「ぼけのたわごと」、タイトル変えました。
シャン先生、麻生首相と担当役人の意識の低さにあきれてます。
しょうせき
また、麻生首相がやってくれた。
長崎の平和祈念式典のあいさつで傷痕を「しょうせき」と読んでくれた。
このような間違いにはもう驚かないが、驚くのは首相のあいさつ文の程度の低さである。
広島のときもそうであるが、挨拶の前半は10年、いや20年一日のごとくアメリカに遠
慮したあたりさわりのない言葉の羅列になっている。後半は原爆症集団訴訟で勝訴した原
告にかぎり原爆症と認定する、と選挙運動まがいのことしか述べていない。
プラハにおける米オバマ大統領の演説以来核兵器に対する世界中の考え方に変化が出てき
ているというのに核兵器廃絶につながるビジョンは何一つ示されていない。
どうせ三下奴の役人が書いたものだろうが、それを鵜呑みにして読みあげるとはいかがな
ものか。たとえ一年間という短い間でもこのような時の流れを認識できない首相を頂いた
ということは、将来に「しょうせき」を残すことだろう。