思いつくまま、気の向くまま
  文と写真は上一朝(しゃんかずとも)


シャンせんせいの「ぼけのたわごと」、タイトル変えました。
シャン先生、日本政治は進歩したのだろうか、と終戦の日に思いめぐらしてます。



八月十五日

  

迎え火に乗ってきたわけではないだろうが…。

今日十五日、片づけものをしていたら昭和五〇年、今から三十四年前の新聞が出てきた。

新聞は、敗戦後三十年産経新聞の終戦記念日特集。そこには自民党、民社党、公明党の意

見広告が大きく出ている。

昭和五十年というと、田中内閣が崩壊し、三木内閣が発足したときである。社会的には連

合赤軍事件から三年。政治の場では、佐藤内閣の保守的政治に飽いた国民が歓迎した田中

内閣が金権政治で頓挫してしまい、政治を根本的になんとかしなくてはという気運が高ま

ってきた時のように思う。

これを現代の世相に置き換えると、連合赤軍事件は一連のテロ事件。田中三木と続く政変

は、オバマ大統領の選出と同じように世界中が政治の変革を求めているところが似ている。


さて、三党の広告を見てみると、自民党は「戦後三十年。日本の進む道を訴える」と題し

て、「繁栄、発展の功罪」「日本をさらに平和な充実した社会に改革する四大政策」最後

に「全国のみなさん、一緒にがんばろう」と結ぶ小見出しで日本がどうあるべきかという

ビジョンが語られている。公明党は、「憲法の三原則をまもり発展させよう」「戦争は、

ごめんだ」「国の進路をきめる主人公は国民だ!という主権在民主義」と、いまより共産

党寄りの意見を述べている。民社党はというと、写真のように「今の日本を危機から守ろ

う」「自民党ではもう乗り切れない」「自由と民主主義を守りぬく」と、現民主党と代わ

りばえがしないスローガンをかかげている。これは、現民主党(が)代わりばえがしない、

というべきか。

こうして三十四年前の三党の意見広告を読んでみると、それぞれに、将来の日本はどうあ

るべきかというビジョンが語られているが、先日発表されたマニフェストは対症療法ばか

り語られていて国のありかたを示すものはなにもない。これは、三十四年間を無為に過ご

したということになるのではないか。産経新聞の性格上、社会党と共産党の意見広告が見

られないのは残念だ。ぜひ読んでみたかった。


今日、全国戦没者追悼式の中継を見ていて気になることがあった。

天皇皇后の先導を厚労大臣がやっていたが、総理大臣が迎えることではないか。

追悼式の発足にあたり左派の反対を避けるために時の厚生省所管という形で始めた名残な

のだろうが、いやしくもこの追悼式を国家の行事として行うのであるならば総理大臣が先

導を行うべきだと思うがいかが。

これは主義主張の問題ではない。いかに形を守るかということであって、いつまでも日本

のお家芸「あいまいさ」でことを運んでいては、国民はどちらを向いていいのかわからな

い。

この「あいまいさ」が続くうちは政権交代をしてもなにも変わらないだろう。

敗戦後六十四年。この「あいまいさ」で過ごしてきた日本において、八月十五日は年を経

るごとに重たいものを感じさせる。

八月十五日とは、なんとも不思議な日である。


戻る