ぼけのたわごと 文と写真は上一朝(しゃんかずとも)
大変お待たせいたしました。
大好評だった酩酊放談のシャンせんせい、装い新たに復活しました。
シャンさん、本物の食道楽を実行しております。
とんだ先代萩
写真は、当家父祖伝来の骨董の水指……ならぬ、ただの土鍋である。
些細なお世話がきっかけで、毎年信州の安曇野から新米を送ってくる。もう15年を
過ぎるであろうか。今年は九十七翁が丹精を込めた新米である。
元々は米作農家であったが、今では健康のために自家用米だけを作っているそうだ。
翁が卆寿を迎えたとき、丁重に辞退申し上げたが、孫娘から祖父の生きがいなのでぜ
ひ受け取ってほしいと言われ、いまに続いている。
農家直々の新米は美味い。自家用米は手のかかりが違うせいかもっと美味い。本来は
釜で炊けばいいのだが、手間がかかるので仕方なく電気釜で炊いていた。
最近老後とやらで暇になったので、釜で炊こうということになった。しかし年々炊く
米の量も少なくなりわが家の釜では無理がある。そこで、土鍋があるのを思い出した。
この土鍋は、七、八年前に結婚の引き出物で貰った。こう言う物が好きな人の間では、
なんとか工房の作とかで有名らしいのだが、仰々しい説明が付いていたので恐ろしく
て使わないままになっていた。
わが家のMrsハイマーは、小学二年のときから薪と釜で飯を炊いていたので飯炊きに
は自信があると豪語していた。ところが釜と土鍋、薪とガスでは勝手が違い、昨日も
お焦げ、今日もお焦げという状態がつづいた。やったことがある人はご存じだろうが、
直火で飯を炊くには、頭も神経も使う。炊飯器任せというわけにはいかない。美味い
ものを食うには手間暇をかけなければならない。この手間暇は、Mrsハイマーのリハ
ビリにも最適である。
ようやく努力の甲斐あって、ほどほどのお焦げがついた美味い飯が炊けるようになっ
た。
飯炊きのおかげで政岡はボケないし、千松は毒饅頭のかわりに昔懐かしいお焦げのま
ざった美味い飯が食える。というわけで老優二人、土鍋に向かい毎晩、先代萩「飯炊
きの場」をやっている。