ぼけのたわごと         文と写真は上一朝(しゃんかずとも)


大変お待たせいたしました。
大好評だった酩酊放談のシャンせんせい、装い新たに復活しました。
今回のシャンさん、軽く食通の一端を披露しております。



醤油ことです             

味覚というものは、むずかしいものだ。洋食は、菓子も含めて子供のころに食べたも

のより断然現在のほうが美味しい。カレーライスだって、あのうどん粉味のものより

今の方がずっと美味い。ただし郷愁はべつだが。

ところが、和食はそうはいかない。これは食材に原因がある。全て見かけと四季を問

わない量産のせいで美味い食材が無くなってしまった。とくに、食材とは言えないが

醤油の味のまずいこと。変に甘ったるく濃くというものがない。これは、関西料理に

原因がある。味もわからない輩が見かけのよさで関西料理こそ本物だと、なんでもか

んでも甘口薄味にしてしまったせいなのだ。都内の物産店に行けば美味い醤油はある

が、観光値段なので貧乏な我が家では、なかなか買えない。と、いうわけで醤油には

こだわりがあるのです。


先日、利根運河の河岸に小さな醤油醸造会社を見つけました。そこは、およそ量産と

はほど遠い小さな醸造蔵があるだけの看板ひとつない商売気のない所です。

おそるおそる事務所に案内を請うとたった一人の事務員がだまってこちらを向いて指

をさすばかり。振り返ってみると茶室のような作りの品の良い販売所がありました。

声をかけると、鄙にはまれなスーツ姿の若い美人が現れ、これまた日本橋のデパート

かと思うくらい丁寧に、かつ親切に商品の説明をしてくれるのです。

醤油屋だから当然味噌もあります。こうなるともういけない。値段もかまわず注文す

ると、わきに立つ家人が日頃の吝がなにを言う、とばかりに憮然としております。

「ここは払う」と言うと、美味いものを買うのに異存はありません。急にニコニコし

て、都内に出るより近いのに、「めったに来られないから」とのたもうて、「これは

瓶だから重たいですよ」の言葉に耳も貸さず、計4キロもの買い物をしてしまいまし

た。出されたお茶を飲んでいると、そそと現れ「これを味噌汁に入れて召しあがって

ください」と自家製乾燥具をひとつくれました。

運河の土手にもどって「具をひとつしかくれないなんてケチだ」「あれはきっと家付

き娘よ」なんて勝手なことを言いながら重たい荷物をぶらさげて家路についたのでし

た。

えっ! 肝心な味はどうかって。大当たりでした。子供のころ、一升瓶を持たされて

酒屋で買った量り売りの醤油の味そのものです。味噌も大豆の香りが腔中に広がる結

構なお味でした。


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