ぼけのたわごと             文は上一朝(しゃんかずとも)


大変お待たせいたしました。
大好評だった酩酊放談のシャンせんせい、装い新たに復活しました。
今回のシャンさん、本気の共感を語ってます。

岡部伊都子の死                             

テレビが岡部伊都子さんの亡くなったことを報じていた。

茶碗の糸ぞこを愛でるような随筆を書く人だった。岡部さんの作品のことを話すとき、

よくこの言葉をつかった。それがなにを指すかわかってくれる人とはふしぎと気が合

った。

岡部さんは、情感あふれる随筆を書く反面、筋金入りの反戦平和の人だった。

「この戦争は間違っている」と語る婚約者に「ううん、私やったら喜んで死ぬけど」

と言った自分の言葉のために、彼は沖縄で戦死をしたと、婚約者を殺したのは戦場で

はなく自分であると、軍国少女であったわが身を責めつづけた。

岡部さんが80歳になるとき、講演を聞いた。介添えの人にすがるようにして歩く岡

部さんの姿をみて、講演ができるのかと訝ったが、席につくなり会場を圧する稟とし

た声で、「戦争のむごさは、戦場にだけあるのではなく、戦争をしている国の人々の

心のなかにもある。われわれはいつのまにか加害者になる、平和にたいして気をぬい

てはならぬ」と訴えつづけた。国の形を旧に復そうとする一派が、18年の隠忍自重

を重ねて作った「昭和の日」に死去したのも、岡部さんが“今”に鳴らす警鐘かもし

れない。

戦争を知らない人が、反戦平和を訴えるのはむずかしい。どうしても、あいつが悪い、

こいつも悪いとなって、自分も悪いとはなかなか言えないからだ。

岡部さんのように、戦争を肌で知り、心で知って文章をよくし、講演もよくした人が

亡くなるのは、時のながれとはいえ惜しいことだ。


この文は、岡部さんの訃を知った晩に一気に書きました。現代女性文化研究所の集ま

りでお目にかかったときの、岡部さんの気迫が書かせたようです。

ところが落とし穴がありました。重い言葉をもつ人の死はやたらにマスコミがとりあ

げます。岡部さんも例外ではありませんでした。あくる日の新聞コラムでとりあげて

いたのです、ココ通に載るころには後出しジャンケンになってしまいます。とは言え、

書き終わると、連休の前に宿題をすませた小学生のようにホッとしたことも確かです。

前にも同じことがありました。二度もおなじドジを踏みました。あたしのセンスが悪

いのか、ブン屋のセンスが悪いのか、それはわかりません。


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