3/31のしゅちょう             文は田島薫


(情報過多世界について)

今の日本は沢山の情報に溢れた社会で、生まれた時から、もう、テレビやゲーム

や、教材に囲まれ、日夜それを摂取し続けることにだれもがあまり疑問を感じな

くなってるどころか、そういった情報を人よりより多く得ることがいいことだ、

って言うかのように親は子供に詰め込み学習をどんどん強いていたりする。

子供は朝から寝るまで学校と塾で情報摂取に励み、ちょっと明いた時間には、ヘ

ッドフォンで音楽やディスクジョッキーを聴いたり、ゲームに時間を潰し、ゆっ

くり、自然や季節の肌合いを感じたり、自分の頭で、社会や自分について考えた

りする機会を失っている。


もちろん、子供の生活パターンは善かれ悪しかれ親の生活パターンの投影であっ

て、子供のそういった心の余裕のなさ、ってものは、まず、親自身から認識を改

める必要があるわけなのだ。


一般の生活の中に情報妄信の波が商業戦略の宣伝にも乗って、やれ、パソコンで

インターネット、やれ、自分の好きな情報をたっぷり調べたり溜めたりできるパ

ソコン機能のハードディスク付きデジタルテレビやら、バーチャルでいろいろな

体験ができるゲーム機やソフト、ビデオ機能付きデジタルカメラ、などなど、親

だって、自分の頭でものを考えないままに、それが普通の生活だ、ってように忙

しい作業で時間は埋まって行く。


画家の熊谷守一は30年以上も自宅の庭から外へ出たことがなかったそうで、これ

は今流行りの「引きこもり」と共通する部分もあるんだろうけど、彼は庭の植物

や鳥や虫をじっくりながめたり感じたりして飽きることがない、って生活だった

わけだから、バーチャルなゲームやインターネットや漫画や人工的なおもちゃに

夢中になったような受動的な「引きこもり」とは本質的に違うのだ。

彼は庭に寝ころんで、空と雲と季節を味わい、ただの石ころを握っては、その手

ざわり、温度の変化を楽しんで、外からは何もしてないように見えるのだけど、

当人はとても忙しいんだって、そして、この喜びのためにできるだけ長生きした

い、って90ぐらいの時に言ってるのだ。

音楽などを無闇に鳴らしたりしないで、静けさを愛したらしいんだけど、彼に言

わせると、音を消すと、そこは沈黙の世界ではなくて、もううるさいぐらいの豊

かな音が満ちている、って。

熊谷守一は現代日本の大人や子供にとてもリアルなメッセージをくれた人なのだ。




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