●連載
虚言・実言         文は一葉もどき


横浜が縄張りの元タウン誌ライター。
貧しさにもめげず言の葉を探求し、人呼んで“濱の一葉”。
ウソ半分、ホント半分の身辺雑記を綴ります。
もどきさんの新シリーズ9回めです。


シリーズ 世にも短い物語

三本の傘


私は40年勤め上げた役所をもうすぐ定年退職をする。その日が近づくとやはり感慨深

いものがあり、あれやこれやと越し方を考えてしまう。

私は病的なまでに潔癖症で曲がったことは大嫌い。その几帳面さは三本の傘に象徴され

ている。

私は三本の傘を持っていた。一本は自宅の玄関の傘立てに入っている。次の一本は置き

傘として役所のロッカーに入れておく。もう一本は折りたたみ傘で、突然雨にあった場

合に使用するため、いつも持ち歩く黒い鞄に常時入れてある。私はこれらの三本の傘を

常にあるべきところにあり、目的どおりに使わないと気が済まなかった。

時として、この三本の傘を一度に持って出勤することがあった。それは前日の夕方雨が

降ってきて、会社の置き傘をさして帰り、翌朝、まだ雨が降っている場合である。

つまり、会社から持ち帰った傘はその日のうちにきれいに乾かし、たたんで、役所のロ

ッカーに戻すために鞄に入れ、翌朝出勤時に雨が降っていれば、自宅にある傘をさして

いくので、結局三本持ち歩くことになるのだ。

実は黒鞄に入っている折り畳み傘は値段の張った一番上等なのについに一度も使わなか

った。今思うとまったくバカバカしいことだ。

私は何事にも用心深く、石橋を叩いても渡らず、なお遠回りの山道を選んでしまうほど

である。石橋の危うさや快適さを知らずにきてしまった。娘が茶髪にしたり、息子が鼻

ピアスをしたときは怒り狂った。さぞかし妻はいつもピリピリしている私に息詰まる思

いだったろう。

つらつら考えるに私の人生はつまらなかったとは思わないが、一度も使われなかった傘

が鞄の中のあることで何かやり残したことがあるような気がする。

例えば、いつも使っていた二本の傘は生きていくうえで必要なもの、人としての義務や

責任のような部分かもしれない。人の道をはずしてはいけないと気負っている実用の傘

なのだ。でもそれだけで人生は十分なのだろうか。もしかして使われなかった三本目の

バカバカしい傘は、人生で一番楽しくて大事なものなのだったかもしれない。

何かやり残してはいないだろうか。

それに一本だけ使われなかったことに違和感を覚えた。私の考えは几帳面さゆえに傘も

きちんと万遍なくつかわれないと気が済まないのであった。


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