●連載
虚言・実言         文は一葉もどき


横浜が縄張りの元タウン誌ライター。
貧しさにもめげず言の葉を探求し、人呼んで“濱の一葉”。
ウソ半分、ホント半分の身辺雑記を綴ります。
もどきさんの新シリーズ10回めです。


シリーズ 世にも短い物語

大阪ぐらし


東京から大阪へ転勤して三ヶ月。大阪の水にどうもなじめない。東京が恋しい。今日は

アパートに一人で休日を過ごすのが寂しくて通天閣へやってきた。

通天閣から見下ろすと大阪の街にはほとんど緑がないことに気がつく。真下にある天王

寺公園と淀川がわずかにゆとりの空間だ。ごちゃごちゃと無秩序に並ぶビルと家並みの

下では“面白うて悲しゅうて”の世界が営まれているはずである。遠く生駒山の山並み

を見ていると、余計東京からずいぶん離れたような気がして寂しさが募った。

やがて展望室を降りようとすると、エレベーターの隣にビリケンさんが金色のキンキラ

キンで人を喰ったような笑いを浮かべて座っていた。こうしたケバさ、金儲けへの貪欲

なまでの縁起かつぎが街の至る所に見られる。生きること、その欲望を露わにすること

になんのテレもないのが大阪。論理よりも泣ける、笑える、感動できることに価値をお

く気質なのだ。

趣味が悪いと切り捨てるのはたやすいが、それこそ人間の生きていく本音の部分であり、

それを素直に出して何が悪いと開き直るチャーミングさも認めないわけにはいかないか

ら私の気持ちは複雑である。

通天閣を降りてじゃんじゃん横丁で名物の串焼きを食べようと、客の入りの良い店を選

んで入ると、煙と匂いと話し声が一緒くたにになって襲ってきた。

調理場を囲むようなカウンター席はほぼ満席で、ようやく空席を見つけて座る。タレは

共同で使い、キャベツは手づかみで食べ放題。こうした食べ方に私はようやく慣れた。

串かつ、ジャガイモ、ちくわなどを注文する。ジュジュッとあげたてがくるのだからま

ずいはずがない。

隣のおっちゃんが壁に貼られた品書きを見つめ何を注文しようか迷っている。その目の

真剣なこと! すでに十数本の串が皿に並んでいる。

ハプニングがあった。隣のおっちゃんの注文が私の前に置かれてしまったのだ。

「あ、これ違います」と私。

「ああ、わしのや」とおっちゃん。

おっちゃんは私の口の利き方や様子ですばやく私がよそ者であることを見抜いたようだ。

串やきを口いっぱいにほうばりながら、

「大阪の食い物はうまいやろ! それに安いんやで」

気さくに話しかけてきた。

「大阪の人は食い倒れというのはホントですね。食い物やの看板の派手なこと!」と私

がいうと、

「うまいもん喰わんでなんで生きとるねん。人間最後まで残るのは食欲や」

まさに至言である。私はいつかきっと大阪ぐらしが懐かしく思う日が来るだろうと予感

した。


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