ぼけのたわごと             文は上一朝(しゃんかずとも)


大変お待たせいたしました。
大好評だった酩酊放談のシャンせんせい、装い新たに復活しました。
今回のシャンさん、日本人の愚かなカタクナ思考を憂えてます。



からかわれた?言葉                             

「休みの日でも、地球の反対側にいても許されない」

フィレンツェの大聖堂に落書きをしたので、日本の高校の野球部監督が解任された騒ぎについて、

イタリアの新聞レプブリカ紙。

記事は続く。「男性は、職も失いかねない。(日本では)間違いを犯した人間に対し哀れみはな

い」イタリアの史跡には日本語以上のイタリア語、英語、ドイツ語の落書きがある。それをイタ

リア世論は特に問題視していない。落書きに対する拒否反応は日本ほど激しくないようだ。

記事は、「わがイタリアも日本を見習わなければいけない」と、半ば日本の処分の厳しさを嘲笑

している。


1日、上越新幹線の車体にHackの落書きがみつかり、列車は運休するという大騒ぎがあった。

NHKのニュースは、鬼の首でもとったかのように、心理学者まで動員して「どういうつもりで

書いたのでしょう」なんて間抜けなことを聞いている。落書きなんていうものは面白いからやる

んじゃないか。そりゃ、心理学的にいえばそれなりの理由はあるだろうが、そこまですることか

いな。街頭インタビューで答えるおじさんも「こまったことですね」と模範解答をしながら、な

ぜか笑顔。それを見ていた家人が「わらっているじゃない」と言う。さすが女房殿、NHKの世

論誘導的な報道をお見通しである。

落書きがあると電車が走れないという道理はなかろう。首都圏の電車に描かれている絵にHa-

ckが劣るとは思えない。こちらは金を払ってないからいけないというのか。


最近、「正論」というファツショがひたひたと押し寄せてきているように思えてならない。

「正論」というバケモノに反論するのには、多大の考えとエネルギーがいる。「少しおかしいけ

ど、言ってることは正しいから」と諾々と従うのが普通になってきてしまう怖さ。サミットに対

する異常な厳戒はどうか。「不便だけどテロが怖いから」と、なにゆえにテロが起こるのかを考

えもしないで従う。これに勇気をだして反論でもしてみると、「テロが怖くないんですか」「テ

ロをするやつがケシカラン」と世論の袋叩きにあうだろう。田島主幹の大好きな言葉「思考の停

止」がまかり通っている。これこそ支配層の望む社会である。

老生の母親が40年前に「自由自由と言ってると、またファツショが出てくるよ」と言ったがその

とおりになってきた。大正デモクラシーから昭和ファツショを体験した人間の言葉に間違いはな

かった。このような未成熟な民主主義を謳歌する日本人を、さきのイタリア紙は、本気で“から

かった”のかもしれない。


今回も省エネのつもりで書いたのですが、不愉快なことが多いので加筆しました。字数が多くて

ゴメンナサイ。


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