6/16のしゅちょう             文は田島薫

(文化的生活について)

文化的生活、って言うと、何のこと?、ってピンと来ない人もいると思うんだけど、

憲法で日本人全員に保障された、「文化的最低限度の生活をする権利」って部分を

考えてもらえればよくて、要するに、衣食住に不自由がない上に、その時代までに

発達した便利な道具も十分に使い、精神的にも、望めばだれでも教養や芸術を自由

に享受できる生活、ってことになると思う。

それで、現代のわれわれ日本人は一応それはできてるようにも見えないことはない

んだけど、現実をつぶさに検証してみれれば、首を傾げざるおえない報告が多数あ

ることに気づくはずだ。

時給数百円で24時間開いてるコンビニなどでバイトしてやっと生活費を稼ぐ若者た

ちや、それさえままにならなくて、ホームレスになる危機にある失業中高年たち。

企業では、不安定な待遇のままの非正規社員がまだまだ減らないし、正社員でさえ、

企業側の都合で、リストラ後の人員不足をコストをかけずに補うため、過酷な時間

外労働を強いられる。


われわれの学生の頃も、若者は貧乏だったけど、学費は安いし、バイトでなんとか

生活できてた者もけっこういたはずなんだけど、奨学金制度が進んだ欧米と違い、

わが国では今や、桁外れに上がった学費を払えるのは、夜の水商売のバイトやって

る女子学生ぐらいで、ほとんどの金のない若者は、大学進学を諦める他ない。

それでもバイトをすれば食べ物は手に入り、テレビや携帯も使え、一見豊かそうに

は見えるんだけど、だれもが将来への経済的不安を抱えて、ゲームやコミックなど

の安直な楽しみ以外、ゆっくりと生活を楽しむ時間的精神的余裕は少なく、絶えず

求職したり長時間働き続けたり、絶望したりしている。

企業の正社員も自分の時間を切り売りして、体がいつまで持つのか、働いて稼ぐ金

も子供の学費やら、ローンやら、税金やらで、どんどん消え、老後のことを考えれ

ばいくら貯金があってもやっぱり気が休まらない。

わが国の労働者で、日々の生活を仕事以外の時間的余裕の中で芸術などを十分楽し

んでいる、って言える人はどれだけいるっていうんだろう、今この国では。


江戸時代の庶民は貧しかったけど、ほとんどが半日で仕事を切り上げて、後は住人

同士の社交や芝居などを楽しんだ、って言うから、それなら、今の時代よりそっち

の方がもっと文化的生活だった、って言えるんじゃないだろうか。




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