6/9のしゅちょう             文は田島薫

(通り魔について)

休日白昼の雑踏、秋葉原で無差別殺人通り魔が7人もの命を奪った。

昔からこういう事件はあったものの、最近こういう種類の事件が続いているのはどうい

うわけだ、って考えると、その実行者たちに共通する独善的や被害妄想的性格を増長さ

せる現代のわが国の社会環境の不自然さに思い当たる。


近隣住人や家族や学校、あらゆる単位の環境がコンクリなどで仕切られ、それぞれの単

位の中だけでそれぞれの個体がなんだかわけのわからない価値観の目的のために、競争

心を持ち日夜忙しく心身をすり減らす毎日を送り、それぞれ同士の心の触れ合いといっ

た機会はどんどん縮小して行く環境。


子供の学校現場では、言葉だけの「みんななかよく、みんないい子で」って教育が行わ

れ、ちょっと子供同士の喧嘩でも起きればすぐに止めに入って叱り、ただ表面上おとな

しくしてればいいんだ、本心は表現しちゃいけないんだ、って間違った浅知恵を全員に

浸透させつつ、一つ覚えの価値観、受験競争にかりたてる。

そして、競争に勝った者は当然の権利とばかりに物質的な豊かさを独占し、それができ

なかった者たちへは、その物質的不足を助けてあげよう、って気分よりも、それらの人

々を侮って見るような傾向を助長する教育。


けっして頭が悪いはずはない、って自己認識してる者でも、経済的理由で進学を諦めざ

るおえないような無策の教育行政によって、不本意な就職をし、憲法が文化的最低限度

の生活を保障してる、ってわりに納得できないような過酷な労働条件のなかで、自身を

過大評価してるようにしか見えない上司などから奴隷のような扱いや態度を受ける職場。


通り魔無差別殺人がいいわけはないんだけど、これは世界で行われているテロと共通す

る部分もあり、なんてひどい人間なんだ、って言って済ますだけの問題ではなく、巷に

そういった種類の人がいくらでもいる、って考えられるのだから、政治ももっと底辺へ

の気くばりをしないといけないのだ。




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