1/21のしゅちょう             文は田島薫


(朝日新聞批判について)

サンケイ新聞などの右傾新聞関係者を中心に朝日新聞批判は常に行われてる

わけだけど、先日も本屋へ行くとその手の本が平積みされていて、言論の自

由なわけだから、どんな主張もいいんだし、私自身も朝日新聞に文句言いた

い部分だってあるもんで、ちょっと楽しみに手に取ってながめてみると、さ

すが、頭の堅い右傾の論者にありがちのどこでも見られる手前勝手な「常識

論」で一瞬に興味がしぼんだ。


ありがちな論の1冊である、その本の論旨を簡単にまとめると、朝日新聞は

平和憲法擁護やイラク派兵反対などの主張をしてるけど、戦時中は戦争擁護

やそれの高揚を誘う報道をやってて、それについての言明をきちんとしてな

い、平和論や、地球貢献国家をめざせ、って主張は、米国の核の傘の下でや

ってくしかないわが国にとってきれいごとで、非現実的だ、ってことらしい。


まず、戦時中に今主張してるような立場で発言できてなく、情況に流されて

たという批判について、じゃ、それを批判してる当人はどういう立場で戦時

を送ったか、って問われるだろう、で、それでも、当人は多分、平然と、私

は現在でも非現実的な平和論は唱えてないから、その点は一貫してて、批判

にあたらない、って言うのだろう。

そうして、現実的にものを見て対処している、ってことは、従属する米国と

自国の利益のみが行動原理で他国の不利益には目をつぶるとか、自分の強い

志や理想などは持たないか、持っててもそれは現実の前にはすぐに引っ込め

る、って言ってるわけで、えらくもなんともないのだ。


どんな立派な論を唱えようが、戦争が始まってしまい、権力による言論統制

が行われてはだれだってものを言うことは難しくなるのだ。

だから、そんな異常な情況になる前に、国民が選挙などによって、政治をコ

ントロールできるうちに、危機感は危機感として訴え、理想は理想として訴

えて、よりよい世界つくりの方向へみんなで持って行こう、というのが朝日

新聞の立場で、この批判者の概念にはないもののようだけど、これは世界一

般に「良識」と呼ばれるものなのだ。




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