1/28のしゅちょう             文は田島薫


(背伸び社会の政治について)

わが国はどこの町もけっこう小奇麗な家が立ち並び、人々も小奇麗な服着て

小奇麗な自動車に乗ってるのがごく普通の家庭、ってように経済的に豊かに

なって来てるのは事実なんだろう。

しかし、それだったら、社会福祉が進んだ北欧に多い孤独などによる自殺な

どと違って、その経済的理由でのそういった人々による自殺やら一家無理心

中やらの事件が頻発するのはなぜなんだ、ってことになる。


一見裕福そうに見える家庭でも、聞くと、経済的に無理をしている、って話

を聞くことが多い。

預金の超低金利に比べ借り出しの高金利で一向に減らない家や車のローンや

上がり続ける税金や子どもの教育費。

格差社会といって、勝ち組に見える家庭でもそうなんだから、増して負け組

家庭の悲惨さは大変なのに、表面上は大変そうに見えないのが、この物質に

溢れる社会の盲点なのだ。

とりあえず世間体の悪くないようにみんなが持ってるもんは買うか?、って、

後でなんとかなるだろう、って、なんともならない場合もあることを、みん

なが忘れたかのような、のったりした生活環境。

いつ倒産するかもわからない中小零細企業や、売り上げの上がらない個人事

業に毎日自転車操業する人々、止まったら明日から路頭に迷うかも知れない

不安をかかえた生活をしている人々が無数にいる、っていうのに、政治家は

自分のふところは確保して、巨額な負債をかかえたまま他人事のように、呑

気に、使えない空港やら高速道路やら、大手企業の不要な事業に税金を注ぎ

込み続ける、それによって産業を活性化しているつもりなんだけど、大手か

ら下請けに続く構造的問題点には、ほとんど目を向けないから、潤おうのは

いつも大手のみで、中小零細は置き去りにされたまま税金だけ取られる。

最底辺の労働者たちは見捨てられてホームレスになっても、政治はそれに対

し構造的欠陥の是正という視点なしで、みすぼらしい応急処置するだけ。


わが国の表面的豊かさは、危うい土台の上に立ってて、それの危うさを加速

しているのは自民党政治の無策なのだ。




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