2/12のしゅちょう             文は田島薫


(背伸び社会の政治について3)

機械修理業の一家の父親によってが無理心中が計られ3人が殺された。

仕事が減って来てるとこに、借地権の売却も決まり、移転先などの意見が家

族で分れたりしてる中で、家族の将来を悲観した「責任感の強い」父親が思

い詰め発作的に凶行におよんだらしい。

これは今の日本の社会情況をリアルに反映した出来事で、悲惨な事件だ、っ

て驚きながらも、一方では、父親の気持もわからないことはない、って感じ

る人も多いのではないだろうか。

中小零細などの労働環境の厳しさが増す中で、物価やら税金やらの値上げが

続き、失業すれば、ローンや家賃が払えなくなって、住む場所さえなくなる

可能性がある社会でなんとか頑張ってる人々が沢山いるわけなのだから。


意欲あればいつでも働けて、普通に生活できる収入を保障されてるのであれ

ば、貧しくても、将来に不安を持ったり悲観したりすることも不要になるは

ずなんだけど、今の日本、例え金を持ってる人でも不安を抱えているのだ。

だれだって人生、うまく行く時もあれば、うまく行かない不遇の時だってあ

るわけなのに、政治は、平気で膨大な借金を重ね続けながら自分たちの生活

は完全保障するわりに、国民の不遇な層へは有効な対策をせずに、ただ自助

努力を求めるばかり。


不遇な国民としては、そのアンバランスを見切って、自助努力の自分の非力

を悲観したりする必要はないのだ。

そりゃ、その努力の方法のうまいへたもあるだろうし、同じような境遇でも

成功する人もいるのは事実だろうけど、境遇に悩む者で自分の生活の基礎を

整えようと努力しない人間はいないのであって、それのたまたまの成否で生

活権まで否定されてしまう社会は間違ってるのだ。

労働環境の不平等や不足の改善要求や、どうしても失業せざるおえない境遇

だったら、ホームレスになったり、自殺や一家心中を考える必要はさらさら

なくて、一番困ってる時に銀行が金を貸さず、サラ金地獄にいるなら、堂々

と生活権を主張して自己破産申告して借金をゼロにするなり、国に生活保護

を要求するのがいいのだ。

何十年も散々多大な税金を納めて来てる者に対してさえ、それがだめになっ

た時には、福祉援助を渋る行政は大いなる勘違いしているのだ。

だって、行政こそが、野方図な借金を溜め込み続けながら、すでに税金で優

雅な生活保護受けてる張本人たちなのだから。




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