2/18の日記          文は田島薫


バースデー鍋

石狩鍋が忘年会で受けたもんで後で遊びに来たサニーに、また出したことを先

月の日記に書いたところ、尾形さんからメールで自分への待遇はちょっと差別

があるんじゃないか、って冗談めいた軽いクレームがあった。

彼の立場になって見ると、なるほど、って思えるところがあって、それは、そ

のサニーが来て鍋を食べて1泊し帰った日の夕方、事務所に来た尾形さんには、

サケの中骨缶とキャベツの炒めものを出したわけで、このメニューは彼が毎週

事務所に来る時と同じものだったから。

でも、休日に前もって来るのがわかってる友人と違い、その日尾形さんが来る

のは夕方の突然の意向だったし、ふだんでも毎週こちらも仕事のあるウィーク

デイにホームページの歌の更新に来る友人に仕込みの準備や後かたづけのいる

料理はかんべんして欲しい旨を伝えた。

で、尾形さんの誕生日なんかだったら喜んで鍋作る、って伝えておいた。

そしたら、彼が先週更新に来た時、今月の今週が誕生日だ、って申告があった。

それに、来週から高円寺であるグループ展にサニーや私や同居人と一緒に彼も

出品するんだけど、週末の搬入に仕事で行けないので、代わりに持ってって欲

しいという要望ももらい、作品を日曜に届けるからその時誕生会をやってもら

おうか、って要望をもらった。

で、昨日の日曜、午後、舞踏の成瀬さんと映画監督の筒井さんとイベントの打

ち合わせしてるとこらしかった彼と連絡し合い、けっきょく筒井さんと一緒に

来ることになったんだけど、彼はまだ作品の書が書けてなく、わが家で書くつ

もりだったらしく、発泡酒を持った筒井さんに自分で買った酒を託し、紙と墨

汁を買ってから30分ほど遅れてやって来た。

一緒に誕生日おめでとう、って言って石狩鍋と発泡酒で乾杯して一時したら、

飲んでるわれわれの少し離れた床に私が敷いた新聞紙の上で、彼はひとり深刻

な顔で長い時間作業するのだった。

尾形さんが合流するまでの間、音を消したサッカーの日本対北朝鮮のゲームを

見ながら、主役の欠けたテーブルで少し間延びした会話しながらの誕生会は、

ちょっと妙で、尾形プロデューサー自身のプロデュースで筒井さんが来てくれ

たおかげでぎりぎり体裁が保たれていたのだった。


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