●連載
がたやま娘のひとりごと      文はこんのたえこ


地方文化都市山形で、世界の様々なことを感じ考えている
賢くうら若い(?)娘の話を聞こう、疲れたおじさんおばさんたちよ!

亡くなっても無くならないものをたえちゃんは感じてます。


祖父がのこしてくれたもの

2008年の振り返り。

30代も半ばを過ぎると、一年経つのがものすごく早い。

一年の目標をたてようとずっと思っていたら、もう年末になった。

そんな感じで時は流れていく。


今年いちばん大きかったのは、やはり祖父が旅立ったこと。


病気の父を看取って間もなく、祖父の介護がはじまった母。みんなそれぞれに辛かったけ

れども、いちばん辛かったのは、介護をされる明治生まれの祖父自身だったのかもしれな

い。だから、祖父が息を引き取ったときは、悲しいというよりも「ご苦労様でした。やっ

と楽になれましたね。」という気持ちだった。


あれから数ヶ月経って、今では何事もなかったように静かな毎日が過ぎている。


今年の締めくくりとして、喪中のはがきを出した。そうしたら、祖父の教え子の方々がわ

ざわざ連絡をくださる。50年以上も昔の話になるが、当時は市外の農村に住んでいる優

秀な若者が山形の夜間学校に通っていたらしく、昼間は自分の家の農作業をし、夕方から

汽車に乗って学校に通って、夜は山形市内の教員宅に泊まり、朝になってからまた汽車で

自分の家に帰るというもの。うちにも、何人かの若者が泊まりに来ていた。そういう方々

がわざわざ遠くから連絡をくださったり、訪ねて来てくださったりしたのだ。今ではいい

おじいちゃんになっているかつての若者が「先生のお陰で学校に通うことが出来ました。

大変お世話になりました。」と言ってくれる。そして、自分が学校を卒業して会社に勤め

た話や、息子を大学まで出しました、という話や、お孫さんの話を嬉しそうにしてくれる。

なんて有り難いことなのだと胸が熱くなる。

何十年も前の、たった数年間のことを覚えていて、こんなふうに話をして慕ってくれてい

る人がいると知って、とても驚いている。うまく言葉で表すことが出来ないけれど、祖父

がのこしてくれたものは、何とも言えず大きいものだと感じている。


大雪が降った日の夕方、母と夫と私で近所にラーメンを食べに行った。ラーメンとはいえ、

こんなことは珍しい。もう気兼ねする家族は誰もいないし、愛犬わたるがしっかりとお留

守番をしてくれる。何も話すことはなかったけど、ゆっくりと食べて帰ってきた。

帰り際、母に今度こそ財布を持ってきたか確認したら「あるよ。これ私の分。私の分ね。」

と言って千円だけ払った。私も夫もびっくりしたり、あぁ、やっぱりなと思ったりした。


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