8/11のしゅちょう             文は田島薫

(放任経済について)

わが国は規制緩和で自由競争を活性化、ってますますアメリカ型の自由主義市場

経済になって来て、伸びる会社はどんどん伸びればいい、つぶれる会社はつぶれ

ればいい、って実業界では政治的に必要な規制なり法整備はほとんど行われない

で、ただ、全体を平均して経済成長の数字さえ出ればいい、って政治のようだ。

もっとも、上向いていると言われてたその数字さえ、米国の安価住宅ローンの返

済焦げつきや、投機によると見られる石油価格の高騰の影響で、何で日本経済は

そんなにもろいの、ってぐらい最近は簡単に怪しくなって来てる様子だけど。

厳しくなって来てるだろうと予想もされる自動車業界などの大企業は、それでも

散々大儲けした時の余裕があるはずだけど、こんな時、もろに大変なのは、政治

の怠慢によって「身分保障」されてないところの、大企業の下受けなどで、ぎり

ぎり頑張っている日本じゅうの中小零細企業だ。

もちろん、大企業といえども、こんな生産コストや、需要確保にマイナスになる

状況は大変は大変なんだけども、そこは、政治的に無策の恩恵で、下請けをたた

けばいい、って構図なのだ。

それでも国内の下請けコストが高い場合は、下請け企業やそこで働き生活の糧を

やっと得ている多くの労働者たちを見捨てて、ただ、貨幣価値の差の恩恵と、安

い労働力を求めて海外の後進国へそれを求める。

それも、自由主義経済のシステムなんだから、いいのだ、って意見もあるんだけ

ど、ひとつの国家にはその国民の生活を保障する義務があるのだ。

ただ、数字上の合理性ってだけで、海外の労働力を買って来ることを黙認してて、

十分機能するはずの国内の生産システムがどんどん廃棄されて行くような社会、

って健全って言えるだろうか。

冷静に考えてみて、経済活動を構成する主役である生産品、といったものが、だ

れのためにあるのか、って言ったら、とりあえず、その国の国民の生活を豊かに

するってところが基本で、もちろん余剰なものは輸出するってことでいいのだけ

れど、一部の労働者はそれを買えるけど、他の大多数の労働者はそれを買えない、

なぜなら、買う金を稼ぐ手立てがないから、ってことだったり、さらに、もとも

とそんな贅沢品は欲しくない、なんとか、毎日の食事と必要な医療と勉強したい

子供に負担なく学校へ行かせたい、のだけど、それをしてやる金がない、なぜな

ら、それを稼ぐ手立てがない、ってみんなで言うんじゃ妙な国だろう。



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