11/12のしゅちょう 文は田島薫
(公平性の視野について)
人はだれでもが、物質的にも精神的にもできるだけ豊かになりたい、って思い
ながら日々の生活をしてるんだろうけど、その希望レベルは人それぞれで、精
神的充実が一番で、物質的には必要最小限度でいい、って人もいれば、精神な
んて目に見えないもんよりわかりやすい美しいものや気持のいいものや美味し
い食事などを限りなく求めたい、って人もいる。
物質的には、ある人にとって理想的な所得の高さや生活環境の所有にも、まだ
まだだ、って不満を持つ人も多い。
まあ、世の中そういったものだ、って割り切って、他人のことは気にせず、そ
れぞれが好きに追求してけばそれでいいじゃないか、って言えばその通りだ、
ってことも言える気もするだろう。
しかし、われわれはそれぞれが独立して他との関係性なしで生きてるわけでは
ないのだから、他人に迷惑かけなけりゃ好きにしてていいじゃないか、って単
純には行かないのだ。
すべての生活用品を自給自足でまかなってる、って言うんであればともかく、
例えば、次々と消費するぜいたくな食物や自動車などの製品を求めれば、日本
への輸出元の貧しい国では昔から生活を支えてた豊かな自然を商業資本に売り
渡して、結果貧困が拡大していたり、地球規模の環境破壊を起こしている事実
もあるのだから。
製造日表示を改ざんした食品会社をみんなで糾弾して、ちょっと古くなったも
のをどんどん廃棄することに気をとめない時、世界では夕食にかびのはえかか
った小さな1片のパンだけを家族で分け合っている人々も大勢いるんだ、って
ことも頭のすみで意識していたいもんだ。
わが国でもわれわれの先輩たちは戦時で同じような生活をしたわけだし、それ
は情況ってもので、そういった時にはだれでも仕方ないことなのだ、って言っ
てわざわざそんな不愉快なことを考えるこたないでしょ、って言うのもわかる
けど、そういった情況、ってものがどっから来るのか、ってことなのだ。
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