11/19のしゅちょう             文は田島薫


(公平性の視野について2)

福田首相は米国に飛び、ブッシュ大統領と対談し、海上給油法案整備への努力

を伝えると共に、拉致被害者家族の訴えに乗った形で、米国の北朝鮮のテロ支

援国家指定解除の動きをとりやめてもらう要望を出した。

拉致被害者家族の気持はわからないこともないんだけど、自分のところでも同

じ拉致被害を受けている韓国を始め各国が、北朝鮮の核開発停止を条件に経済

援助などによって平和的な国交正常化に向けて動いてる時にわが国だけが、頑

に北朝鮮の非を咎めて止まない、って形は外交戦略的にも有効ではないだろう。


その上、そういった敵視の決めつけによる外交は結局、力で押さえ付ける、っ

て発想なわけだから、過去の歴史でのわが国の過ち、といった反省があれば、

そんなに感情的になるのは公平性を欠いていることになるだろう。


自分の周囲の事情のみに意識がいっていると、自分のみが正当であるような気

になって、簡単に相手を糾弾してしまうのは人情の常だけども、世界を冷静に

見る意識があれば、現に日本が加担支持した米国のアフガン攻撃やイラク攻撃

によってどれだけの混乱と、一般市民の命が奪われ続けているか、イラクのフ

セイン大統領を抹殺したことが本当に妥当だったのか、それをしたり支持する

正当性が米国や日本にあったのか、って大きな後悔を感じるはずなのだ。

国土全体を破壊され、不安定で危険な情況の中、安心して生活ができない、っ

ていった両国の国民の現状などがそれほどわれわれのメディアで取り上げられ

ることがないため、日々のんきなテレビのバラエティ番組見たりして生活して

るわれわれは、世界の公平性についてのわれわれの責任についても無自覚にな

りがちなのだけど、世界の公平性について関知しようとしない政治家や政党を

支持すれば、結果、わが国は国際社会の中での信頼を得られず、われわれの明

るい未来もしぼんで行くのだから気をつけよう。




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