3/12の主張             文は田島薫



(豊かな生活について)

きのうの新聞の一面のコラムにフィリピンの貧富の格差、って大見出しと写真

が出てて、写真は背景に高層ビル群、前景に洗濯物や自転車のあるバラック住

宅群と友人同士のような何人かの子供が写っていた。

背景の近代的な高層ビルでは、裕福な人たちが高価な家具や電化製品に囲まれ、

ぜいたくな食事やら着飾った生活をしてるんだろうな、と思うんだけど、あん

な空中の人と人とを隔絶したような場所でのそれが、私には空しいもののよう

に思えて、むしろ手前のちゃんと地面があって、人と人との交流がありそうな、

どこかなつかしい、自分の幼いころのような環境の方が豊かな生活じゃないか、

ってふと感じてしまった。

とは言うものの、さあどちらか選べって言われたら、実際には便利な不自由の

ない生活の方を取ってしまうかも知れないけど。


多分、ハイテクで便利な生活ってものは、一種の麻薬のようなもので、楽だ、

って感じて溺れて行くと、どんどん人本来の感性と体力を奪われて、多分人と

人との暖かい交流って言ったもんまでも消し去って行きがちのものなのだ。


最近のテレビ報道で、有名校に合格した受験生の子供がどこで勉強してたか、

って統計で、大部分が、自分の個室の勉強部屋ではなく、テレビやキッチンが

そばにあり、家族が一緒で始終雑音がしているダイニング、でやってた、って。

人の成長にも、より「有機的」な環境の方が助けになる、ってことらしい。


ま、月並みな意見だけど、何か便利なものを手に入れる、ってことは、同時に

何か大事なものを失う、ってことなのだ。




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