12/24のしゅちょう             文は田島薫


(芸術と娯楽のちがいについて)

芸術って聞くと何か高尚なもんで、娯楽、って聞くとあってもなくてもいい

ような低級なもの、って感想を持つ人がけっこういるようなんだけど、じゃ、

高尚、ってどういうことか、って聞くと、きちんと答えられる人は少ないん

じゃないかと思う。


私も高尚ってよくわからないし、どっちがそれでもかまわないんだけど、手

に入れにくい、ってことを高尚っていうなら、芸術はそう言えると思う。

だからといって娯楽がいらないもん、ってことはなくて、私なんかも娯楽は

大好きで、ずーっと娯楽でいたい、ってぐらいのもんなんだけど、私が思う

に、娯楽ってものは、人の感性の快感の部分だけを刺激する、ってもので、

例えば、目くるめく変化する視覚や聴覚への刺激といったことに象徴もでき

るような、例えて言えばハリウッド映画のように、人が生きてる間に感じる

情緒や思いや思考の深い部分に刺激を与えてなくても成り立つものだ。

もちろん、ハリウッド映画すべてに芸術性が皆無だって言ってるわけではな

いんだけど、たいていの作品の主題がどこにあるか、って意味で。


それに比べ、芸術ってものは、人の感性や精神活動の深い部分に刺激を与え

それによって、世界と存在についての何かを目覚めさせる、といった力を持

ったものを言うのだ。

例えば視覚でも聴覚でも表現できるできるだけ多くのものを細部にわたって

作り上げ人前に提示する、ってように、人の想像力なり思考力を不能にさせ

ることとは、本質的真逆のものなのだ。


そういったことで、今世の中の表現物なり人々の生活の仕方を見ると、99%

以上が娯楽志向じゃないのか、って見える。

娯楽、ってものは必要なものなんだけど、それの量のバランスを崩すと、次

々より強い刺激を求めるだけの単細胞的人間になって行くだろう。

それでいい、って人は多分それでしょうがないけど、芸術の必要性ももっと

意識していった方が、生きてる喜びも違って来るはずなのだ。




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