8/20の主張 文は田島薫
(学習障害について)
学習障害、っていうと、脳の機能に欠陥がある人の話って、思われるかも知れな
いけど、特にそういった問題のなさそうな一般のわれわれの日常的現象について
の話をちょっとしてみたい。
人ごとではなくて、私自身も常に感じることがあるし、だれでもが経験してる問
題だろうと思うんだけど、あの人の考え方はちょっと普通じゃないから、ちょっ
と直した方がいいんじゃないか、って、ちょっと言ってみるんだけど、全然聞く
耳を持たない、って経験。
これは言う側になっても、言われる側になってもどっちも私自身も経験してるこ
となんだけど、私自身は昔にくらべると、そのことのメカニズムを少しわかって
来た感があって、人の考え方を個人的に矯正しよう、ってことは基本的には難し
いことだからなるべく考えないようにしよう、ってことにしている。
なぜ難しいか、って言うと、それぞれの人間の考え方は他からどんなに不合理に
見えたとしても、それに不都合を感じてない当人にとっては、大いなる必然性に
よるものなのだから、こっちのが正しいって違った考えを言われても、すぐにそ
の意見に従おう、って共感することはできないのだ。
人それぞれ生きてて求める価値観も違えば、他にとって有益でだれでも知ってる
べき知識だと思われるものでも、彼にとっては全く価値のないものになるだろう
し、人は考えて、よりよく生きるために、学習が必要だ、って言っても、けっき
ょく、学習するためには問題意識というものが前提に必要なのだから、それが育
ってない段階で、強引に学習することは無理なのだ。
人はたいてい、自分の考えを一番まともなものだ、って感じてるものだから、他
からの指図には生理的に不快を感じるわけで、そういった意味ではほとんどの人
間は心に学習障害を抱えているのだ。
だから、それを望む人は問題意識の確認から会話をするといいのかも知れない。
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