8/27の主張             文は田島薫


(大量消費経済について)

わが国は米国を手本にして後追いしてる大量消費経済国家なんだけど、無駄な物

を朝から晩まで生産しちゃ、それをみんなで、競うように買い求めたり、または、

買い求められずに売れ残り、大量に廃棄し、買い求められた物もまだ使えるのに、

それより新式の物が作られたって言っては廃棄され、自然を破壊し、ってことを

批判する意見に対し、便利な物をどんどん作って、その恩恵に浴する生活が悪い

はずはない、って反批判もある。


何がなんでも、近代科学の発展や便利な製品の登場を目の仇のように批判するの

なら、それは時代錯誤ってもので、大量生産によって、貧しい人々にまで便利な

ものが行き渡ったってことは素晴しいことだ。

でも、現在のわが国の状態は、それの限度を超えて弊害が出て来てる。

ゴミ捨て場にはまだ十分に使える電化製品や自転車が捨てられ、金のない人々で

もそれを拾う人は少ない。

これを豊か、って言うなら、そう見えないこともないけど、金のない人は、住宅

や仕事にあぶれてる人も多い。

医療保険にも入れず、結婚して子供を養うこともできない人も多い。

国の政治が米国流の自由競争を支援して、無力な貧しい人々にも自助努力を求め

るだけで、それらへの救済を考えないからだ。

片や、勢いに乗った好調産業界では、失業中の仲間を置き去りにしたまま、日夜

働かせられる労働環境の労働者によって、緊迫した必要性はほとんどない新製品

を作り続けさせられている。


で、自分の基本的生活を脅かすほど切迫した状況の多くの人々の存在には気がつ

かないか、気がつかないふりをしている別の多くの人々。

人をうらやむのは醜いことだ、人はがんばればなんでもできる、って言って。




戻る