8/6の主張             文は田島薫


(新しさの弱点について)

今の世の中、ハイテク、IT時代なんってみんなが声そろえちゃって、どんどん新

しいパソコンやデジタル電化製品が作られ、建物だって、古いもんは壊され、新

しい鉄筋コンクリートとガラスでできたビルに建て替えられている。

日本じゅうどこへ行っても街じゅう同じような今風ビルや住宅に建て替えられ、

古い木造住宅などは、なんだか、すいませんお金がなくてこのままになっており

ますが、そのうち新しいビルに建て替えますから、ってような感じで申し訳なさ

そうにしてるように見える。証拠に、そういった古い建物も大抵はしばらくする

と、コンクリのビルに変身していることが多い。

以前滋賀県かどっかで、きっちり丁寧に作られた歴史的な建造物である小学校が

土建屋とつるんだ町長によって、あまり根拠のない老朽化を理由に、壊されそう

になり、けっきょく新しい校舎の建設だけ行われた。

地方の役場やら公共施設はどこへ行っても、周辺住民の住宅ともアンバランスに

こんなの必要なの?ここはどこの国なの?って場違いな近代的建築物に変わった

りしてて、いかに政治と建設業が癒着してたかがわかる。

もっとも、建築業者だって、それによって生計を立ててるわけだから、なにも作

っちゃいけない、って言ったら酷な話で、現に、公共事業の減った今の業界の経

営は苦しいものだろうこともわかる。

要は何が問題か、って言うと、建て替えても補強とさほど費用が変わらない、っ

て理屈や建て替えた方が国からの補助金がもらえるといった自己中的理由によっ

て安易に古い建物を壊しちゃ、新しい建物を建てるんじゃなくて、古いものでも

きちんとできている歴史的建物は壊さず、それの外観などは残し、補強と復元を

する、といったことを、たとえば、一般の住宅でも、古くて歴史的なものには補

助金を出してするべきで、そのように国税を使うにも有効に使いながら、歴史的

建物(広い意味での)の外観風情や地域文化を残すことができるわけなのだ。

歴史の時空を超えて残っている建物には文化が宿っているけれど、地域的必要性

なり、必然性なりにより、きちんと設計されたものでない限り、安易に建て替え

られ続けている大部分の、ただの流行でしかない、今新しいだけの建物はほんの

10年20年でみすぼらしいものに変わる率が高いのだ。




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