4/23の主張 文は田島薫
(わかりきった事について)
宮崎県の東国原新知事が定例記者会見で記者たちを前に、定例記者会見って
必要ですかね?今回だってたいして報告すべき内容のものはないし、ふだん
から記者の取材には応じてるわけだから、何か主要なことがある時だけやっ
たらいいんじゃないか、って思うんですけど、って言ったところ、記者団の
一瞬の沈黙の後、だれかが、それは稚拙な質問だと思う、って言った。
そしたら、さすがにその侮蔑的発言に怒った知事は、なにおー、じゃここで
報告した内容がどんなにつまらないもんでも全部記事にしてくれるんですか、
ってまくしたてたら、記者の方は記事の選択をするのはわれわれの方だ、っ
て反論した。
これのやり取りの言分は双方にあるわけだけど、こんな感情論的な言い合い
だと、だれにでも簡単に理解し合えることまで分裂させてしまうことになる
わけで、最初の記者も素朴な疑問には、たとえ稚拙だと感じたとしても、相
手にわかるよう、端的に説明してやれば済むことだったのだ。
われわれも日常でよく相手に侮蔑的表現をしがちなんだけど、それはどうし
てかっていうと、そういった表現をする側にはその時、ある種の優越的快感
があるからだ、ってことは私自身の経験からもわかる。
それと、われわれはだれでも自分の認識というものに愛着なり信頼を持って
るもんで、自分にとって明らかな真実って感じてるものと違った認識に対し
ては反発や軽蔑を感じてしまうものなのだ、っていうことが、ま、これはお
互い様なんだけど、私から見たら全然なっちゃない認識だ、って感じるもの
からもさかんに発っせられるのを見るたびに思うのだ。
認識を深める、ってことは既成の情報をただ記憶しておいてその都度披露す
る、ってことではなく、自分自身の問題意識や疑問にもとづいて、常に刷新
して行くってことなんだと思う。
そんなわかりきった事を、って思った瞬間に思考が停止してることがよくあ
るので、気をつけた方がいいですぞ特にインテリの方は。
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