11/13の主張             文は田島薫



(考えを述べる、ってことについて)

このコラムのように何か世の中のこととかについて、あれはだめだ、これはいいけど、

これはだめだ、こうあるべきだ、などと、自分が少し高みに立って発言してるような

ものは、読む人によっては不快なもんだろう、ってことはよく分かってるつもりだ。

だれだって、いきなり、頼みもしないのに、人が何か教えようとしたら、鬱陶しいは

ずだし、自分が教えることに関してはやじゃないけど、人から教わることは大嫌い、

って人はけっこう多い。


でも、こういったものを読むのが不快だ、って批判する人は、ちょっと勘違いをして

るんじゃないか、って私は思う。

だって、だれだってそれを不快だ、って思う人に対して書きたいと思ってるわけじゃ

ないだろうし、全員が不快だ、ってことが分かれば、何も書かないだろう。

こういった文ってものが、馬鹿馬鹿しいものだ、って感じた人は、その書かれた内容

について、もっと熟知していて、読む必要がないか、全く間違ったトンチンカンなこ

とが書かれてる、って感じてるか、どっちかじゃないかと思うんだけど、前者の場合、

その内容自体に異論がなければ、読まなければいいだけのことで、それについてまだ

認識がない人が読むことを妨害する必要はないだろうし、また、後者の場合だって、

取るに足らない、って思えばほっとけばいいし、間違ってる、って思えば、反論すれ

ばいい(前に反論は受け付けない、って書いたことがあったけど、上げ足取りのよう

なもの以外で、きちんと自分の考えを述べるんであれば、メールで受けます)。

私が読んでもらってよかったな、って思う時は、そんな風に考えたことなかった、っ

て人もそうだけど、それ以上に、考えてることにまったく賛成だ、って人に対してで、

そういうふうに感じる人は多分上からものを言われた、とはとらない人だろう。


前に、吉本隆明が娘のよしもとばななについて、もし彼女が政治的な文章を書いたら

認めない、ってようなことを、ま、冗談半分でだろうけど、言っていたことがあるん

だけど、その時、吉本隆明ファンである私でも、少し彼の不遜さを感じた。

自分はそれをする資格があるけど、娘にはない、って言ってるわけだから。

発言はだれでも自由なのだ。批判も自由だ。でも発言を妨害する自由はだれにもない。


人の考えには認識深度のレベルがある、ってことは事実だろう、私だって精一杯に感

じて考えた結果がこの程度なんだし、程度の高い人の発言でも、あまり考えることが

得意でない人へはそれなりに分かりやすく教えるような表現が必要になることがある

けど、そういうタイプの人へだって、その人をよく知りもしないうちに決めつけて、

いきなり教えるんであれば、そりゃ、不快なことだ、って批判されてもしょうがない

だろうが、不特定多数に向けて言ってることに、自分が馬鹿にされてる、って感じる

人がいるなら、それはちょっと被害妄想だ、ってことに気がつこう。




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