11/6の主張             文は田島薫



(遊びの豊かさについて)

この世の中、色んな便利なものがどんどんできて、このあいだ買ったばっかりの製品

が、もう改良されてたりで、新しいもの好きの現代人は金の余裕さえあれば、すぐに

買い替えたいと思ったり。

で、実際にいろんな物を買い込んで、家じゅう物だらけ、って人もよく見る。

日進月歩のパソコンはじめ、オーディオや、カメラ、家電品、自動車、もう欲しいと

なったら切りがなく、借金して買ってる人もいるらしい。

ま、それが気持の余裕ってもんで、それらの製品を使って楽しんでいるんだ、ってい

えば、それもいいような気もするし、大きなお世話といえばそうなんだろうけど、そ

ういったもんを買うにはやっぱり金がいるわけだから、ま、中には、次々お古をもら

って、金を使わずにうまく便利生活を楽しんでる人もいるんだけど、たいていは、物

のために余計に働かなくてはならなくなってしまう。

で、結局は、物はいっぱい買うんだけども、仕事が忙しくて、それを使って楽しむ時

間があんまりない、ってことが起きている。

車だって、そりゃ、国産の軽より、ベンツの方が乗り心地いいかも知れないけど、そ

れにゆったり乗る時間がないんじゃ元も子もない。

オーディオ・ビジュアルだって、そりゃ、画像や音質がいい方がいいに決まってるけ

ど、楽しむだけならカセットビデオやテープでもさほど支障ない。

すごいAVセットや何本ものDVDを次々買いそろえていったんだけど、よく考えたら、

それを見る暇はなくて、一生かかっても無理だ、って言ってる人もいた。

人の寿命は一応限られてるわけだから、毎日物買うためだけにひたすら働いたり、子

供だったら、ひたすら受験勉強したり、ってことでは空しいんじゃないだろうか。

な〜に、子供なんかはパソコンゲームをずーっと長時間やってるから、十分遊びを満

喫してる、って言う人もいるかも知れないけど、大人も子供も現実の人間同士の生の

つきあいをおざなりにして、長い労働や学習の合間の貴重な時間さえ、そういった仮

想の遊び「だけ」にあててて、豊かな時間って言えるんだろうか。

(ゲームが遊びとしていけないものだ、とは言わないけど)

遊び、って、だれかが次々用意してくれるプログラムをただ受け身で楽しむ、ってこ

とよりも、実は、もっとそれぞれの存在を確認しあえるものだし、お仕着せの仕事や

勉強なんかでは決して置き換えられない、人生の本質って言っちゃえるかも知れない

もっと創造的で豊かな、すごく大切なもんのはずなのだ。




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