5/22の主張             文は田島薫



(自民の呑気について)

今朝の新聞の読者欄に48才のパート労働者が、国民健康保険料を分割にして払って

いるところ、役所からあんたのような人がいるから制度がなりたたない、って怒ら

れたり、会社に社会保険に入ってもらえ、って言われたりしてて、当人は会社に何

度も言っても、なら辞めてくれていいって会社が言う、と、月収15万ですべての

生活費を賄っている自分は払わないんじゃなくて、払えないんだ、と。

会社に言うことだって、それは弱い立場の自分が言うのでなく、役所が言うべきだ

ろう、って、もっともな意見が出てた。


首相をはじめとした政府自民党の連中だって、格差社会についての批判を受けるた

び、日本は十分豊かで、多少の格差は仕方ない、って自分達は赤字財政の中から十

ニ分の所得を受けてるもんだから他人事、気楽にそんなふうなことを言う。


もし、国というのが、ひとつの家族だとしたら、親父と兄貴が稼いで来て、家に入

れた後、自分がかせいで来た以上の金どっかから借金してきて、それ持って高級料

亭へ遊びに行っちゃって、残された弟たちはカップラーメンかなにかやっと分け合

って食べてる、ってのに、うちは豊かになった、って喜んでるようなものだ。


大体、教育費のような、言わば公共料金といってもいいようなものまで、「業者」

の儲け主義を野放しにさせておいて、年収1000万取ってる家でも子供2人を大学行

かせるのがきつい、って言ってる社会で、時給数百円の労働環境が一般化しても、

疑問にも思わない政府は、年収200万ぐらいの人々に、どうやって平等の教育機会

を与えられるんだ、豊かな文化国家、って言いたいなら。

欧米では無償の奨学金制度が充実、多くの学生に普及しているのに、先進国といわ

れる我が国では、それは特殊扱いで貧弱そのものだし。

けっきょく、自民の連中は役人ごと、今の日本国民の生活状況を何も分かろうとし

てないし、分かってないから、あるいは、十分分かってて、貧乏人切り捨て政策を

認めたか、いずれにしても、国民の福祉に関する政治が無能無策なのだ。

そろそろ、われわれ国民は本気で怒ろう。




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