酩酊放談             文は上一朝(しゃんかずとも)


発言欄のどうにも書かないN先生のピンチヒッターがレギュラーに、
事情通シャンさんが独立コラムに栄転!
落語の小ばなし風に放談列車が出発しました。



しゃそうから

故あって片道1時間半の遠距離通勤をするはめになった。いままでのように街中を40分

たらずで動き回っていたときとは大違い。何を見るにもめずらしく、毎日が旅行をしてい

るような気分である。そこで、通勤途中目に映ったことを車窓から。感じたことを車想か

らとして書いてみよう。間違っても社葬を連想しないでもらいたい。今回はその前段、お

披露目の巻。


山手線沿線を自分の庭のようにして育った身としては今回の転居はそれこそお涙ものであ

る。その涙にふやけた転居通知に「都落」の二字をつかったら大変な不評をかった。

曰、いまどき1時間半の通勤なんてあたりまえだ。

曰、(家を)お買いになった?なにが都落ちですか、おめでとうございます、とかえって

きた。ン十年働いてきて西洋長屋の一部屋買ったくらいでなにがメデテェとからみたくな

ったがありがたく承った。


都落ちというのは通勤時間がどうこうということではない。住む所の空気が違うのだ。

〈ようやく普通の食事ができるようになった病人に、見舞いにきた友人が「こんど更科の

そばをもってこよう」といいながらかたわらの医師に、そばを食べさせていいかと聞いた。

医師は、「そばならいいでしょう」。その会話をわきで聞いていた田辺茂一が、「めずら

しいこともあるもんだ、藪が更科をほめた」とつぶやいた。〉(文春刊題名を忘れた本より)

この空気が恋しいのである。なにを言っているのかピンとくる感性が恋しいのだ。

いまでも人形町あたりの地の店で買い物をするといい空気が漂うことがある。にわか雨の

なか、煎餅やで買い物をしたときのこと。たいした買い物でもないのに、おや雨ですか、

とたのみもしないのにビニールでもうひと包みしてくれた。客も大事なのだろうが商品も

大事なのだ。新開地では、こういうことにはならない。ショッピングセンターにある銘店

といわれるところでも、雨が降ろうが槍が降ろうがただ大仰なつつみを渡してくれるだけ。

生活の基本に不自由はないが、空気に不自由する。なにからなにまで波長が合わない。こ

れを都落ちと言わずしてなんと言おう。では、なぜそんな所へ引っ越したのかとお聞きに

なるか。そこのところに、言うに言われぬ所以があるのです。

― と、こんな調子で「しゃそうから」がうまく続けば、めでたし、めでたし。


戻る