5/8の主張             文は田島薫



(敬意ついて)

友人のすすめで入会したブログのコミュニティでたまたま、ネイティブアメリカン

の言葉を紹介されてるのを読み、感心したもんで、図書館で借りて読んだものから

の、受け売りで、ありがちな話。


彼ら(ネイティブアメリカン)は存在するあらゆるもの、人々、動物、虫、植物、

水、大地、山、海、河、その他すべてのものに対して敬意を持つそうだ。

まあ、頭では、ふむふむ、いいことだなあ、などとだれもが思うかも知れないけど、

実際には、飼い犬を敬ったり、子供を敬ったり、たびたび木におじぎしてるような

人をあんまり私は見た覚えがない。


大体みんな、犬や子供や自然を敬う、ってことの意味がよくわからないんじゃない

か、飼ってやって世話してやってるもんが、自分に感謝したり、敬ったりするのは

わかるけど、なんでそいつらを自分が敬わなけりゃならないんだ、って。


とろころが、ネイティブアメリカンの認識では、われわれの存在は宇宙や大自然の

一部であって、それぞれは役割を持って生まれて来たのであり、それぞれには上下

の差別はない、って。


自分がこの子供や動物より身分が上で、自分には彼らを、なんでも自分の思う通り

にできる権利があるんだ、って思うのは間違いなんだ、って。

敬意を持って彼らのメッセージを聞かなくてはいけない、って。


確かに、それぞれが、他人には計り知れないような役割を持って生まれて来たんだ

としたら、それをだれもが大切に思い敬意を持つのは当然のことだろう。

たまたまその親になった立場だったら、それのじゃまをしないように、成長の世話

をやく、ってことなのだろう。

もちろん、なんでもやりたい放題を許すってことじゃなく、あきらかに他に害を及

ぼす反社会的な行動に対して戒めるのは当然なんだろうけど。


自分があきらかに他より認識が上だと感じ、それに対して、自由に彼らをリードし

ていっていいんだ、って感じる時もあっていいのかも知れないんだけど、彼らの全

能力を悟ることはできてないんだ、って謙虚さは忘れてはいけないのだろう。




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