酩酊放談             文は上一朝(しゃんかずとも)


発言欄のどうにも書かないN先生のピンチヒッターがレギュラーに、
事情通シャンさんが独立コラムに栄転!
今回は続・転居通勤シリーズ、そのあたりの暗〜いエピソードでお楽しみを。



しゃそうから2

殺人的ラッシュという言葉があったように思う。

この伝でいえば軽く殴られたくらいに混んだ電車の窓外に、梅雨の前ぶれのような鉛色の

空が広がっている。こういう日には暗い話題がいいだろう。

松戸から日暮里の間、約7キロには記憶に残る事件が連なっている。なぜ松戸から日暮里

かというと昔兄が千葉大に在籍していたので自分の生理的地図の東端が松戸であり、日暮

里は現在の乗り換え駅である。

昭和24年7月、当時の国鉄総裁下山定則の轢死体が見つかったのが東武伊勢崎線をまた

ぐ常磐線の陸橋下。この年は三鷹、松川と謀略といわれる列車事故がつづいたので子供心

にも不安であった。もっともこの事件は、後に松本清張が著書日本の黒い霧で進駐軍謀略

説をとなえてからがぜん興味をもって顛末を追っかけまわしたがどうやら真相は闇の中の

ようである。

南千住では、昭和38年に幼児誘拐殺人事件として世を震かんせしめた吉展ちゃん事件。

事件の現場円通寺には供養のため吉展ちゃん地蔵が立っているはずである。

次の三河島は、大勢の死傷者をだした昭和37年の三河島列車衝突事故。このときは、富

山県出身でわが家に下宿していた美人女子大生に事故のことを聞かれ、三河島の場所や事

故の内容をグラフ雑誌まで買ってきて懇切丁寧に説明したのを憶えている。もっとも敵さ

ん、別の目的があったのではないかと今となってはくやまれるが。

日暮里にくると現JRと並んで走る京成電車のガード下の材木やの大火。この火事は見た

わけではないが、吉展ちゃん事件の犯人小原保がこの火事のことをポロッとしゃべってし

まったために名刑事平塚八兵衛に自供においこまれた。

少し古くなるが日暮里駅構内線路際に阿部定の店と大書して当人の似顔絵を書いた料理屋

の看板があった。阿部定とは愛人のいちもつをちょん切り懐深く仕舞いこんで逃げ回った

猟奇事件の主役である。もとより事件のことなど知る由もない。が、当時の小学生はこの

くらいの伝説は知っていて興味をもって看板をながめていた。たぶん刑期をおえてから雇

われ女将でもやっていたのだろう。

事件ではないが、荒川の鉄橋のたもとには旧小菅刑務所。現在マンションと見まがうばか

りの造りで東京拘置所がそびえている。これらの事件の主役がお世話になったところを忘

れてはいけない。

すっかり景色は変わってしまったが7〜8分の車窓は懐かしい思い出を繰り広げてくれる。

この記事は、記憶だけで書いたので記述に誤りがあるかもしれないが歴史の教科書ではな

いのでご勘弁を。(06.5.8)


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