●新連載
虚言・実言         文は一葉もどき


横浜が縄張りの元タウン誌ライター。
貧しさにもめげず言の葉を探求し、人呼んで“濱の一葉”。
ウソ半分、ホント半分の身辺雑記を綴ります。
今回は、なかなかなおせない正直な性格、って話。



深爪

朝起きて、ストッキングに足を入れるとつま先がチクッとした。(あ〜またやっちゃった)

と顔をしかめる。

夕べ、風呂上りに足の爪を切った。いつものことだが、切っているうちにもっともっとと

思いが強くなって際まで切ってしまうのである。あの辺で止めておけばよかったと後で後

悔することになる。

どうやら私の普段の物言いにもそうした傾向があるようだ。中途半端な物言いでは気が済

まなくてとことん言い募ってしまう。

人と話をしていて、ちょっと考え方にひっかかることがあったとき普通の人ならば、あ・

うんの呼吸でやり過ごしてしまうことを白黒はっきりつけるまで言い募って、ひんしゅく

を買ってしまう。

見かけによらず理屈っぽいね、って何度言われたことか。

日本には腹芸という話術があるが、ああいうのは苦手だ。いいものはいい、悪いものは悪

い、イエス、ノーもはっきりしたい。社交辞令みえみえの褒めあいも退屈な会話だ。

主婦仲間というのはよく褒めあう。

「あーら、その洋服ステキ!」

「その靴いいわよ。フェラガモでしょ」

(最後にブランド名を入れるのがコツでこれを入れると入れないのでは雲泥の差なのだ)

そもそも私は褒められると居心地の悪さを感じるタイプなので、主婦仲間を家に呼ぶとき

は「ウチは金目の物はないからね」

と言っておく。すると仲間はぐるりと部屋を見回して納得するのだが、何か褒めないと落

ち着かないのか、

「窓が広くて明るいわね」

という。外は晴れている。褒めるに事欠いて結局天気を褒めることになる。

こういうのは、大層なものでない置物を褒められるよりも正直でわかりやすくてよろしい。

そこで、私はすかさず

「明るいからって、埃チェックはしないでね」

というと、

「そんな失礼なことしないってば。アナタは一言多いのよ」

と憤慨されてしまう。これも深爪の痛さだ。

また、仲良しの友人と髪型の話をしていたときも

「私、おでこを出すの嫌いなの。だって全然似合わないんだもん」

と友人がいう。それを聞いた私は、

「どれどれ」

といって、やにわに友人の前髪を手で上げるや、

「あ、ほんとだ」

といったのである。

「何もそこまで確かめることないでしょ!」

と友人はすっかり機嫌を悪くした。

しまった!と私はまたやりすぎて深爪の痛さを味わうのだった。


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