●新連載
虚言・実言         文は一葉もどき


横浜が縄張りの元タウン誌ライター。
貧しさにもめげず言の葉を探求し、人呼んで“濱の一葉”。
ウソ半分、ホント半分の身辺雑記を綴ります。
今回は、トルコ冒険ツアーの1、波瀾の幕開け。



トルコ10日間旅行記

 ―旅は発熱から始まった―

西洋と東洋の融合、文明の交差点などといったキャッチフレーズ紹介されるトルコ。1

度は訪ねてみたい国だった。ヨーロッパとアジアにまたがる日本の2倍という広大な大

地は、北を黒海、西をエーゲ海、南を地中海に囲まれ、昔シルクロードの隊商も通れば、

ジプシーも存在し、何よりもビザンチン帝国として1000年にわたって常に歴史の表

舞台に立っていた。キリスト教からイスラム教へと劇的な変化も興味深いし地理的なエ

キゾチシズムも歴史的な栄華の魅力も十分期待できる国なのだ。

そして、6月14日その夢はついに実現した。ツアーはH氏を中心とした友人のかき集

めで作った老若男女23名程の寄り合い所帯。名づけて「H氏軍団」と私がいったらパ

ーティでも行くようにドレスアップした添乗員(この女性もH氏ゆかりの人)に「戦い

にいく十字軍じゃあるまいし」とたしなめられた。

さて、成田からの飛行時間12時間。まさに庄野真代の歌「飛んでイスタンブール」だ。

飛行機の中で隣のツアーメイトにこの歌知っている?聞いてみたら、江利チエミの「ウ

スクダラ」なら知ってるけどね、という返事。時代が違うね、と笑い合った。

イスタンブールに現地時間19時20分に無事到着。外はまだ十分明るい。でも私は眠

い。実に眠い。これから国内線に乗り換えてイズミールまで行かねばならない。その待

ち時間は2時間もある。なんと乗り継ぎのタイミングの悪いことよ!と毒づいてもはじ

まらない。ひたすら忍の1字。でも考えてみれば眠いはずである。飛行機の中では眠れ

ず、この時間は時差6時間なので日本時間なら夜中の4時なのだ。結局イズミールのホ

テルに落ち着いたのは午前1時。それから寝ようたって完全に時差ボケの私はまんじり

ともせず朝を迎えた。

その日の予定はパムッカレの円形劇場と石灰棚。バスに乗って移動中景色を眺めると、

土地は緑が少なく乾燥して痩せており、遠くにごつごつとした岩山が続き、バスの走る

平原は雑草がちょろちょろ生える荒地であった。耕地などめったになく、トルコは食料

を自給自足でまかなっているというがとても信じられない。

お目当ての円形劇場は紀元前2世紀に造られたローマ劇場。崩れはあるが舞台などは保

存状態もよく、いまだに使用されているというから驚くではないか。15000人収容

したという観客席上部から舞台を見下ろすとかなりの高さだった。

ケバイ添乗員の発案で皮製品店に立ち寄る。(トルコは絨毯とともに革製品も特産なん

だそうだ)この頃から私の体調はおかしくなった。外は28度というカンカン照りだが、

乾燥した空気があまり暑さを感じさせず、汗がでるほどではない。しかし、私は冷や汗

が出たと思ったら寒気がしてきた。砂漠に忽然とあらわれたようなオープンレストラン

での昼食時も夫の服まで借りて着込み、スープとスイカぐらいしか食べられずまったく

食欲がなかった。どうやら熱がでたらしい。お腹も喉も痛くないから出発前にトルコを

なんでも見てやろうと向学心に燃えてきたので知恵熱かもしれない。隣の夫に言うと、

「鳥インフルエンザじゃないか?」と小さな声で脅かす。まさか!

私は楽観していた。むしろ12時間のフライトで腰痛がでなかったのがもっけの幸いで、

熱ぐらいなら薬も持ってるしなんとかなると思った。添乗員に石灰棚見物はパスをして

バスに残るというと、びっくりして、熱を測り、(38・8度あった!)特効薬なるも

のをくれ、額に熱さましシートをペタッと貼ってくれた。どうやら見掛けよりもいい人

らしい。長い移動時間をウトウト眠り、特効薬のおかげか、7時頃ホテルに着く頃は熱

が下がっていた。そして、その夜はゆっくりと手足をのばして爆睡すると翌朝奇跡的に

元気になった。


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