6/12の日記 文は田島薫
ワールドカップ待機の休日いよいよワールドカップが開幕して、連日夜にはゲームが見られそうなことになり、気
分はそっちに行っちゃって、昼間もそれへの待機時間のような感覚。
まさか、将棋対戦希望男は来ないんだろうな、って思ってたら、彼も一応ちゃんとした
学識と常識ある(かな?)大人、そういう大事な時期だ、っつー空気を読んでか現れな
かった。
エレキギター弾いて、新聞広げ、テレビつけたけど、全然おもしろくないんで消し、図書館で借りて来ていた本を読んだ。
池田晶子の「新考えるヒント」、池田さん小林秀雄のファンを自称して、小林さんが言
ってる同じ内容を、やさしそうにまた再表現してるんだけど、それほどやさしくもない
んで、これは音楽表現では、カバーにあたるものになるのかな〜、って思ったりした。
池田さん自身も、哲学的論説がわかりやすい表現である必要はあるのか、わかりにくい
ものをわかろうとする努力によってしか、人は認識を身につけることができない、って
言っちゃってたし。
それと、政治評論といったもんの有効性について、人はそれぞれに自己認識を積み重ね
て生きているものなんだから、人にこうこうと何か主張されたって、だれも聞く耳を持
つわけはない、って、おいおい、こりゃ、私の「きょうの主張」のことだ、さては、池
田さんココ通読んでるな(そんな酔狂なわきゃないだろ)。
ま、そりゃ、一理あって、私も常々感じてることで、だいたいだれだって、人の考えや
主張を、なるほどその通りだ、って聞きゃしないだろ、ってわかってやってることなの
だ、だって、言いたいこと言うのが楽しいんだもん。
どんな意見でも人が共感する時は、すでにその人にそれを受け入れるだけの同じ傾向の
考えが準備されてるのだ、まったく逆の意見の人間は聞くわけはないだろう。
でも、その主張がもし、世界とつながる真理を含んでたら、意識を持った人間なら、言
葉でいくら否定しても、否定しきれないものを心に残すはずだろう。
てったって、人生、な、こたー、小さなことで、リアルタイムのワールドカップゲーム楽しむことの方が大事だ。