6/19の日記 文は田島薫
バンドとワールドカップの関係土曜日曜はサニーとはるさんの都合がつき、久しぶりにバンドの集合をしたんだけど、
吉田くんだけは実家へ帰る用事があり欠席になり、ベース不在でサニーと私が交代で
弾き、悩み出版社がコンガをたたいた。
3時ごろ来たはるさんとシャドーズの「春がいっぱい」や、彼が好きなフォークのスリーフィンガーなどやって遊び、用事済まし6時過ぎに来たサニーを入れ、ちょっと
ブルースをやってから、酒宴をした。
翌日曜は、いつものようにいろいろな曲をつまみ食いして、何か1曲ちゃんとやろう、
ってことで、また私は「プカプカ」を歌わされたんだけど、3回ぐらいで、はるさん
に歌を交代してもらい、ストラトでサイドギターのレゲエリズムきざみなどを楽しみ
ながら踊った。
音に疲れ、もう指痛いとか、もう音いいや、ってやめたサニーとはるさんのそばで、私だけは勝手に弾き続けてたら、いつも音出してるやつだな〜、ってほめられた(?)。
アマチュアミュージシャンであると同時にアマチュア大工でもあるサニーとはるさん
は、私の理解を超えた専門的な工具や技術の話で盛り上がってるのを、ギター弾きな
がら、抽象的なイメージを頭に浮かべながら、へー、って聴いていた。
暗くなる前にはるさんは帰り、サニーは連泊して夜の日本クロアチア戦を見ることになっていて、また酒宴をしつつゲームの開始を待った。
ゲームはクロアチアに大勝して、次のブラジル戦で引き分ける、って目算だったのが、引き分けになり、次のブラジル戦、世界1のブラジルに2点か3点の差をつけて勝たな
ければ、決勝トーナメントにすすめないことになり、オイオイ、って冗談のような話。
ジーコがブラジルに話つけてあるから、ペナルティキックやオウンゴールで行けるか
も、ってふたりでふざけた話をし続けたんだけど、笑いに力が入らなかった。