1/23の主張             文は田島薫



(投資博徒について)

ネットで株の売買が簡単にできる、っていうんで、一般の主婦や学生までがそれを

日常的にやり、それが生活のメインの仕事になっちゃってる、って話を見聞きする。

朝から晩までちょっとの値の変動をつかまえては売り買いして、その差額を稼ぐそ

うで、それで巨額の資産を作った学生もいたそうだ。

法律でも認められて、そういう売買を許されたシステムが現前としてあるわけだか

ら、だれがやろうと勝手だろうし、とやかく言われる筋合いじゃない、ってやって

る人々は言うだろう。

だけど、そういうただ株価の表面の変動だけに反応して売り買いするのは、外から

見ればITを駆使した最先端の仕事に見えるかも知れないけど、それがたとえ、専門

の投資会社がやってることだとしても、ただの公認ギャンブルでしかないのだ。

マスコミではそうやって儲けた人の話ばかり紹介するもんで、だれもが、じゃ自分

も、って考え勝ちだけど、先輩の米国の例でも素人投資家の大部分は損害を受け、

頓挫してるのだ。


株式投資、ってものは本来、財力に余裕のある者が、ある企業の将来性を読み、運

命共同体のように考え、たとえ失敗してその投資額がパーになったとしてもしょう

がない、ってぐらいの余裕でやるものなのだ。

必ず利益が出なければ、生活が破たんしてしまう、って悲壮な立場でやったり、分

単位の売り買いで、細かい差額を稼いで行くなんて、ただのギャンブルゲームだし、

そんなことによって産業界が支えられるはずはないのだ。


小遣い程度を投資に使うギャンブルゲームならいいとしても、それをりっぱな仕事

のように考えるなら大きな勘違いだ。

もしそれで巨額の儲けを得たら、幸運かも知れないけど、それによって彼が存在を

評価されるもんではない。

お、ギャンブル当ててよかったねー、ってだけだ。

それの上がりによって生活してる人はどんなにスマートに見えても私にはただの博

徒にしか見えない。

仕事ってものはもっと世界と有機的、貢献的につながっているべきもんのはずだ。




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