●新連載
虚言・実言         文は一葉もどき


横浜が縄張りの元タウン誌ライター。
貧しさにもめげず言の葉を探求し、人呼んで“濱の一葉”。
ウソ半分、ホント半分の身辺雑記を綴ります。
今回は、流行り言葉は知らぬ間に世相を反映してる、って話。



よろしかったでしょうか

電話が鳴った。ソフトな若い男の声で

「○○アーバン不動産ですが、××さんの奥様でよろしかったでしょうか?」ときた。

私は一瞬言葉に詰まる。言葉がなにか変だ。「××さんの奥様ですか」なら「はい、

そうです」とすんなり答えられるが、「よろしかったでしょうか」と過去形で聞かれ

ると、果たしてよろしかったのかどうか過去を振り返ってしまう。「うーん、よろし

かったかどうかといわれてもすぐには答えられるわけないでしょ」などとつっこみを

入れたくなる。「実は若気の至りでそのときはいいと思って××の奥様になってしま

ったが、今は後悔してます」とか「ええ、とてもいい思いをしてよろしかったですよ」

と答えてやろうかと思ってしまう。

最近セールスの電話でこのように切り出されることが多くなった。

言葉のマニュアル化、言葉のジェネレーションギャップというのに振り回される。

コンビニで512円の買い物をする。千円で488円の小銭をジャラジャラもらうの

が嫌だなと思って財布の中をゴソゴソ12円を探すが結局ないので、千円を出して

「これでお願いします」というと、「千円からでよろしかったでしょうか」とくる。

この言葉使いには納得できる。また喫茶店でオーダーして注文のコーヒーが出される

とき「コーヒーでよろしかったでしょうか」という言葉にも慣れた。

物が対象のときは、まあ、許すとして、人間が対象となるとちょっと違和感を覚える。

言葉は世につれ人につれ、どんどん変わる生き物のようだ。言葉の乱れを嘆く声も多

く聞かれ、もっともだと思うのだが、今どんな言葉が流行し使われるかで世相や人を

判断してみるのも面白い。

今の時代、断定をさける言葉が多いように思う。「よろしかったでしょうか」もそう

だが、「っていうか」「私的には」「気持ち的には」こんなあいまい語が氾濫するの

はみんな自信がないのだろうか、「な、みたいに」私は考えてしまう。


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