●新連載
虚言・実言         文は一葉もどき


横浜が縄張りの元タウン誌ライター。
貧しさにもめげず言の葉を探求し、人呼んで“濱の一葉”。
ウソ半分、ホント半分の身辺雑記を綴ります。
今回のもどきさん、通好み、冬の京都です。


そうだ!京都へ行こう

紅葉シーズンの締めくくりとして日帰り京都の旅をした。なにしろ我が家は新横浜駅へ

15分でいけるロケイションの良さ。新幹線に乗れば2時間後には京都にいるのだ。

JR東海のキャッチコピーではないが、そうだ!京都へ行こう、と思い立った。京都の洛

西に位置し、奈良時代わずか10年間の都であった長岡京のお寺巡りである。

目指すのは光明寺、善峯寺、三鈷寺とマイナーなお寺ばかり。12月になるとさすがに

京都は静かさを取り戻していた。紅葉は盛りを過ぎていたがまだ余韻は残っている。タ

クシーの運転手が「京都は冬がよろしいおまっせ」と言っていた。きっと喧騒から解放

され、街に漂う和の雰囲気が心から楽しめるからに違いない。

道路は空いていて最初に訪れた長岡天満宮にはほとんど観光客がいない。白い装束の宮

司が冬の日差しを浴びて箒で落ち葉を集めている。こうした風景は日本人としてDNAに

組み込まれた美意識と見事に合致して懐かしさと落ち着きを感じる。

これこれこの静かさこそ京都の良さ、と11月に行った香嵐渓の夥しい人ごみを思い出

しながら私はほくそ笑んだ。

その微笑がひきつったのは善峯寺へ向かったときである。善峯寺は西山の中腹にあり、

急な坂道や階段をえんえんと登らなければならない。息もたえだえ、底冷えのする冬日

なのにうっすらと汗まで掻くほどの難行苦行だった。腰痛を気にしつつ登りつめると社

務所に「神経痛、腰痛にならないお守りを是非お受けください」という当意即妙の大き

な看板があり、やっぱりね、この寺の信者はこの坂で腰痛になるんだと妙に納得。(急

な登りで腰を悪くさせておいてお守りで治すってわけ?)

大体日本のお寺や神社は山腹の高みに建てたりして木々に囲まれ荘厳な佇まいが好きで

ある。修行の場、そして権威をあらわすためにも有難みを授けるためにも必要なのかも

しれない。でも、京都のお寺を巡っていると、ああ、観光化しているなあ、とつくづく

感じる。

入場料をとり、仏像を見せ、お庭を見せ、歴史を語るのみである。

信仰の対象は形であって僧侶によるナマの声は届かない。ちょっとお高くとまって庶民

とは別世界に住んでいるのが日本の仏教だ。

宗教を語りだしたらキリがないが、形だけの宗教で、それをよしとする日本の社会。果

たしていいのか、悪いのか・・・

そんなことを考えてはいても、単なる古都というファッショナブルなイメージにひきず

られて出かけて行き、仏教本来の役割からまったく遠い所にいるお寺をこれまた宗教と

はまったく関係のない観光の目で見ている私がいる。京都へ行くといつも宗教と歴史と

観光のせめぎあいになりながら日本人の血が騒ぐのである。


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