●新連載
虚言・実言         文は一葉もどき


横浜が縄張りの元タウン誌ライター。
貧しさにもめげず言の葉を探求し、人呼んで“濱の一葉”。
ウソ半分、ホント半分の身辺雑記を綴ります。
今回のもどきさん、文字読みに関する哲学的問題提起。


文字禍

最近雑誌を読んでいて「文字禍」という言葉に出会った。

文字に親しむと心も体も弱められるというのである。文字を知らなかった頃に比べると

職人は腕が鈍り、戦士は臆病になり、にわかに頭髪が薄くなる者さえいたという。着物

を着るようになって皮膚が弱くなったように、文字が普及して体が働かなくなってしま

ったというのである。

一体これはどういうことだろうか?

逆説的な言い方でむしろ文字の魅力を物語っているのではあるまいいか。文字に魅せら

れると頭がまず働き、体が二の次になる。それほど文字には人を虜にする魔性の力がひ

そんでいるということなのだ。

家業を傾かせてしまったほど読書好きだった私の父があるとき私にこう言い聞かせた。

「娘よ、あまり本にのめりこんではならぬ。本に陶酔してしまうとボーとして浮世離れ

した人間になってしまうのだぞ」

父は文字の虜となって本を読みふけって、生き馬の目を抜くような商売の世界で失敗し

た自分の体験から私を戒めたのであろうか。そして頭でっかちの弱虫を心配したのだろ

うか。

けれども私は弱虫を承知で父の教えにそむき文字に親しんでいる。

どんどん生存競争が厳しくなっている昨近、身も心も弱いということは結構つらいもの

がある。

自然界では弱いものが淘汰され、強いものが生き残るのは自然の成り行きというものだ

が、しかし人間界ではちょっと視点を変えて、弱いものが百人淘汰されるよりも強いも

のが1人淘汰された方が住みやすくやさしい社会になるような気がする。そのための知

恵を生みだすのが文字の力ではないだろうか。

「文字禍」なんてきっと昔民衆が賢くなることを恐れた偽政者の陰謀に違いない。情報

化社会の今ではむしろ別の意味での「文字禍」がありそうだ。暗い夜道と文字には気を

つけよう。


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