●新連載
虚言・実言         文は一葉もどき


横浜が縄張りの元タウン誌ライター。
貧しさにもめげず言の葉を探求し、人呼んで“濱の一葉”。
ウソ半分、ホント半分の身辺雑記を綴ります。
今回は、人生の意味にかかわる問題提起。



自分の荷物

忘れもしない、ライターになっての初仕事は眼鏡店の広告文を書くことだった。クライ

アントに取材にいき、いろいろ話を聞いた帰り道、同行した先輩の営業マンに

「今の話だと眼鏡とコンタクトどちらに重点を置いて書いたらいいのでしょう?」

と心細く聞いた。すると先輩は

「それがあんたの仕事だろうが。自分の荷物を他人に肩代わりさせないこと」

とピシッと言われた。

私はそのとき目からうろこが落ちた思いだった。気軽に物事を他人に相談するというこ

とは自分で考えることを放棄して、相手に荷物を預けることなのだ。先輩はいたずらに

手を貸すことなく、私に仕事に対するプロ意識を気がつかせてくれた。お陰でそのとき

仕事という自分の荷物を自覚することができた。

さて、人生は重荷を背負って歩むがごとし、といったのは徳川家康。

いかにも苦労人の言葉だ。荷物は仕事であったり、悩みだったり、迷いであったり、苦

労であったり、いろいろ形を変えてで背負い込むことになる。さらに重かったり、軽か

ったり、そして増えたり、減ったり、いずれにしても生きていく以上、人には荷物が背

中に張り付いていることには変わりはない。

そうした自分の荷物は自分で背負うのがまっとうな生き方であると仕事を通じて私は学

んだのだ。

ところが、世の中便利さお手軽さを追求してきた結果なのだろうか、さまざまに業種が

細分化され、サービス化され、最近荷物を気軽に他人に預け、楽をしようとする人が増

えているように思う。例えば、こどもの教育の業者まかせ、自己主張しない若者、占い

に凝る女性、お仕着せのパック旅行、手取り足取り教えすぎるカルチャー教室、コンビ

ニに頼るライフスタイル等など。ここに共通するキーワードはマニュアルである。マニ

ュアルというのはああしなさい、こうしなさい、これが常識だと提示するだけ。マニュ

アルがあると、人って考えることを放棄してしまうのだ。

今自分の背負っている荷物は何であるかしっかり自覚しないと、業者の仕掛けたマニュ

アルにはまってしまいかねない。

マニュアル化した社会は効率が良いようだけど、人間の思考能力をストップさせるので

はないだろうか。恐ろしいことだ。


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