4/17の主張 文は田島薫
(建前と本音について)日本人は建前と本音を使い分ける国民だ、って言われ、ごく親しい関係以外は思って
ることを正直に言うことよりも、その時の相手の気分を損ねないことの方を重視する
傾向があるようだ。
友人同士の議論だろうが、仕事関係での会議の議論だろうが、激しい議論が始まりそうになると、まあまあ、などと言って、水をさす者が出て来て、たとえ本題とはちが
う方向に話が逸れて行ってしまっても、なんとなく場がなごやかになればそれでよし、
ってみなが感じてしまうような傾向。
議論まで行かないで、ひとりが、思い切って本音でだれかに批判めいたことを言いか
けると、本音で何か言うことは不作法でやってはいけないことだ、と言うばかりに相
手からたしなめられるように不愉快だからそういう話はやめてくれ、って言われる。
だれだって、だれかに批判めいたことを言われるのはそんなに愉快なことじゃないだろうけど、自分にとって愉快な話だけ受け付けるけど、それ以外は受け付けない、っ
てことだと、自分の欠点にいつまでも気づかないままでいいのだ、って言ってること
になる。
または、自分の欠点は十分わかってるので、途中まで聞けば相手が何を言おうとして
るかわかるから止めるのだ、って反論するとしたら、全部言わしておいて、そのこと
は自覚してるので指摘におよばない、って平静に言えるはずだろうし、時間の無駄だ
からと思うなら、こういうことを言いたいんでしょ、って簡潔に先回りして言ってし
まえば済むはずだろう。
だから、相手の批判を止めようとする時の気分は、たいてい日本人のありがちな形、
自分の気分を害すようなことを言うべきでない、ってことだけなのだ。
そういうわけで、考えの違う者同士が話をする場合、本来なら新しい刺激を与え合うことができるはずなのが、本音である相手への批判的表現を隠すため、表面の世辞の
与え合いで終わり、お互いの認識が深化して行かない、ってことが起こりうるのだ。
無用の批判は表現された後で無用だとわかるわけで、表現される前に止めることは、とても小心で臆病な自分をアピールすることでしかない。
全部批判を受け付けた後で、あなたはそう批判するが、私の認識はこうだ、とか、あなたの批判はもっともで、全然それに気がつかなかったよ、いい話をありがとう、っ
て言うか、その批判はあなたに言われなくても、当の私はあなたよりも十分納得して
ることなのだから、まったく不要な批判だ、って言うだけのことだろう。
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